石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第五節 社會種々相

藩政がかくの如く弛緩せる時代に當りて、輕吏の輩民治の何たるを解せず、虎威を假りて亡状を極めしことは想像に難からず。螢の光は能美郡に關する當代の事情を記録せるものなるが、その中に農民が如何に藩吏の爲に惱まされしかの實際を述べて曰く、寳暦より明和に至るまでは、毎春正月以後藩侯の飼育する鷹二据又は三据を有する鷹匠・鳥見等多數郡内に出張し、村落中の資産家を擇び二十日又は三十日に亙りて滯留し、餌指も亦之に附隨し來りて喧騷せり。而して彼等の鷹野に出づるときは悉く濕田の水を落して進退の便を計り、偶鶴の舞ふを見れば里民をして直に報告せしめ、又農民が途上彼等に禮を失することあるときは謝罪の爲に數日を費さゞるべからず。特に彼等が鶴を捕獲したる場合にありては、隣邑皆酒肴を贈りてその成功を祝するを要したりき。又天明以前、能美郡百姓持山は別宮奉行の管理に屬し、別宮に與力三人、小松山廻足輕二人を置き、許可を得ずして林木を伐採することを嚴禁せしが、彼等は日々山林巡邏し、若し刈柴の中に稚松を混ずるが如きことあるときは、村吏を召喚して叱責し、酒肴料を得るにあらざれば赦さず。若し又新たに樹木を伐採せる痕跡を發見すれば、その切株に腰を掛けて村吏に金を強請し、若し應ぜざれば別宮奉行に告發して百日の入獄を命ずるを常とせり。且つ農民にして伐木の許可を得んとする者は、與力足輕に多額の賄賂を贈らざるべからず。既に許可を得たる時は、又極印の押捺を求むるが爲數日間その家に宿泊せしめ、土産又は頼母子と稱して金品を與へざるべからざりき。是を以て農民は過大の費用を要するに苦しみ、僅かに數株の木を伐る場合の如きは許可を得ずして之を斷行し、不幸にして發見せらるゝに至れば賄賂を以て罪を免るゝの手段を取れり。されば安永七八年の交、無組御扶持人十村たりし澤村の源治は、農民窮状を憐み、郡中より年々三貫五百目の運上をに納れ、以て垣根及び畦畔に生ずる樹木は假令の特に保護する七木たりとも尚且つ自由に伐採し、然る後屆出の手續を爲さば可なりとするの特許を得んことを請ひしに、はその數種を解除せり。