石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第四節 教諭政治

齊廣重教の第二子にして加賀藩第十二世の主なり。天明二年七月二十八日を以て金澤に生まる。母は郡上侯青山氏の臣山脇守之の女貞琳院。齊廣童名を龜萬千といひ、寛政八年十月初めて江戸に至り、十一月十五日叔父治脩に養はれて嗣子となる。次いで十二月三日名を勝丸と改め、同日犬千代と稱し、翌日又左衞門利厚と號す。九年二月九日柳營に於いて首服を加へ、正四位下左近衞權少將兼筑前守に任じ、將軍家齊の偏諱を賜ひて齊廣と改む。後享和二年三月九日治脩致仕するに及びて家を襲ぎ、同月十一日加賀守と改め、六月十三日左近衞權中將に進む。文化元年正月二十一日治脩の子利命を養ひて子とせしが、翌年五月二十一日に至りて歿し、次いで八年嫡子齊泰を得たり。文政五年十一月二十一日致仕し、七年七月十日四十三歳を以て竹澤殿に卒し、十二日發喪す。諡して金龍院文古雲遊といひ、野田山に葬る。