第四章 加賀藩治停頓期
第四節 教諭政治
齊廣の時に於ける土木の他の一を兼六園の經營とす。その地金澤城の東南に接し、古山崎村の在りし所なりといふ。前田氏の世に及び横山長知・奧村榮明等の邸地となりしが、元祿九年九月轉地を命ぜられたるを以て十年十一月退去し、爾後空閑に屬すること九十六年にして、寛政四年初めて文武學校を興造せり。然れども當時の地形は、學校の北邊に一路ありて、廣坂より修理谷坂に通じ、この路を隔てゝ蓮池(レンチ)あり、之に續きて城濠ありしが故に、學校と蓮池とは自ら別區を爲しゝなり。抑蓮池の地たる、慶長六年前田利常夫人の江戸より下りし時その附隸の臣を置きし所にして、當時江戸町の稱あり。元和八年夫人歿したる後は藩の御貸小屋あり。京の金工後藤程乘の寄宿したるも亦此處なりといふ。下りて萬治中作事場の建設せらるゝありしが、延寳四年その城内に移さるゝに及び、前田綱紀はこの區域を江戸町御亭の用に充てき。江戸町御亭の主なる建造物は蓮池御殿にして、一に蓮池御屋敷とも蓮池亭ともいひ、外に馬場御亭等ありたるを見る。蓋し蓮池は金澤御坊が城内に在りたる時、後の百間堀の所に蓮を植ゑたる池沼を存したるに起り、次いで之に添ふ江戸町一帶の地名となりたるより何時しか音讀することゝなれるなり。蓮池御殿の久しく存したりしことは、重凞の世延享四年十月に老臣を會して觀楓の宴を開き、重教の寳暦五年五月に幕府の巡見使をこゝに招きて饗したるに徴して知るべし。然るに九年四月、城下大火災ありて蓮池御殿亦類燒せしが、安永三年五月治脩はその一部に瀑布を作り、瀧見之亭を建てたりき。今の翠瀧及び夕顏亭といふもの是なり。後上之亭・舟之亭・内橋之亭を起し、景勝漸く整備せり。その上之亭といふはもとの蓮池御殿の遺址に在りき。
文政二年齊廣は蓮池の南方學校附近を撰びて菟裘を起さんとの意あり。乃ち學校を一隅に移し、亦その附近にありし前田三内・豐島小十郎・不破勘太夫等の邸をも轉ぜしめ、蓮池との間に在る道路を廢して一區とし、こゝに園囿居舘の工を起し、五年三月には再び學校を廣坂通に移して邸内の地域を擴大し、十二月十六日移徙の儀を行ひ、新殿を竹澤御殿と名づく。竹澤御殿の結構は頗る巧妙を極め、辰巳用水を利して園中に紆餘曲折せしめ、巖石の布置・林樹の栽植皆巧妙を極め、近く翠微の蜘蜒に對し、遠く湖海の茫洋を望み、勝景多く比類を見ず。齊廣乃ち白河侯松平定信に請ひて園に名づけしめしに、定信は宋の李格非が洛陽名園記に、『園圃之勝。不レ能二能兼一者六。務二宏大一者少二幽邃一。人力勝者二蒼古一。多二泉石一者難二眺望一。兼二此六一者惟湖園而已。』とあるを取りて、『兼六園。文政壬午季秋樂翁書。』と記して之を贈れり。後之を刻して園の正門に顏す。是より先承應元年以來、城内に一鐘を置きて時刻を士庶に報ぜしが、街區遠近の差ありて餘韻普く四方に達せざりしかば、齊廣は新たに竹澤殿御に時鐘を設け、文政六年八月四日以降從來の一日十三割の制を十二割に改めて正時刻と稱し、澤田義門・遠藤數馬の二人をして刻割主付たらしめき。初め鑄る所の鐘佳ならず。是を以て十月再び造る。その銘文の末尾に十二月と刻するものは何の故たるかを知らず。然るに世人その法に慣れず、却りて之を不便とせしを以て、齊廣の卒後七年十二月二十八日之を廢せり。 竹澤洪鐘銘 文化・文政に卒去せる藩主に治脩・齊廣あり。又治脩の世子たりし齊敬あり。今その略歴を附録す。粤稽二古刻漏一。肇二軒轅氏一而宣二夏商一云。周禮有二挈壺之制一。並悠邈措而不レ鑿焉。盖本朝時鐘之彰。孝徳天皇大化爲二濫觴一。歳躔二彊圉協洽一。尋灼二然令式一。如二自鳴鐘以測一。自二慶長一而取二捷便一者也。在二我金城一。則以二承應改元一爲二置鐘之起原一。然後一百有七十餘甲子。緜々不レ斷矣。伏惟贒太公嘗爲二世次不一レ可レ闕。雖二享レ統莅一レ位。而天資鳴謙。不二躬自以レ徳處一。在二其大任一也。鬱耻二于内一非二但一日一。故至二痾亦從生一。客冬爲レ之遂發二撝挹之隱志一。讓二提封三闔國於冢嗣今侯一。營二別殿離舘於城東竹澤之地一而遷レ之。永養レ痾不レ顧二藩鎭之貴一也。然候貴庚未レ滿二志學一。故大君以二睠々台命一。要三攝レ侯而秉二治柄一。國卿大夫亦切勸レ之。太公猶尚欲レ辭レ之。而仁情之不レ忍。愍三國民之失二父母一。不レ得レ已而從レ之。擧二擢忠良一。貶黜悖惡一。遍布二名教於方内一。殫扇二仁風於芻蕘一。於レ是乎苛刻澆漓之俗遠絶。而迄下雖二犬馬一蒙中帷盖之恩上。懽心之所レ結。百姓謳歌。仰二萬壽於南山一。盛也哉丕矣。丁二斯時一太公以爲。城鐘所レ寘軹一口。單音不レ洎二通都一。而朝儀之於二遲速一。衞士更直之於二上下一。或農商之於二出入一。凡國事百期。動輙易レ愆。是以乃歳命二鳧氏一。新鑄二洪鐘一。別選二金澤金水相生之地一而寘レ之。且淘二汰前來運算之推差一。分二天之睽錯一。垂二正範於萬世不窮一。使二號信人人不一レ惑也。猗不二亦慈渥之恩擧一哉。臣景周恭承二嚴旨一爲二之銘一。其辭曰。 〓臺正尾。 金墉直東。 列嶽鍾レ秀。 流泉玲瓏。 遐襟二湖瀛一。 邇枕二疇田一。 翼軫可レ摘。 嘘吸通レ天。 名苑嘉樹。 瑞英珠聯。 奇禽鶴鶴。 維翥維翾。 玄寰丹闕。 亶神僊居。 爰命二鳬氏一。 側〓鎛虡一。 仰弗レ觀レ象。 坐俾二時明一。 鏗錚瀏湸。 蒲牢吼聲。 奚翅雊雉。 響徹二周聽。 四民百爾。 出入罔レ惑。 惇仁之設。 永定二遺則一。 矧揆二圭臬一。 革二從前忒一。 忽絲以詳。 盈縮歸レ匡。 龔勒二昭徳一。 錫二恩無彊一。 文政六年發未冬十二月初吉拈二筆於黄金澤水之上一。 七十八翁臣富田景周頓首謹識 文政六年癸未十月 御鑄物師 村山四郎兵衞正久 〔竹澤殿時鐘銘〕 ![]() 松平樂翁書兼六園額 石川縣物産陳列所藏 ![]() 兼六園古圖 金澤市巖如春氏藏 |