第四章 加賀藩治停頓期
第四節 教諭政治
齋廣が藩の政務を攝行したるは二年に滿たざりしが、その方針の常に移風易俗に在りしことは尚初の如くなりき。即ち文政六年には大に藩士の就學を奬勵せんと欲し、二月十五日教諭を發して日く、近時青年の輩にして文學校に學ぶもの漸く多きを加へたるは喜ぶべしといへども、人持・頭分の士に至りては殆ど講書の定日に出席するものなしといへり。蓋し此等の輩は、公務繁劇なるを以て已むを得ざるによると、學術亦既に練達せるものあるによるならんも、藩の要職に在るものにして聽講せずんば、恐らくは年少子弟を奬勵すること能はざるべし。望むらくは各奮勵して力を講學に費さんことをと。次いで十二月齊廣更に組頭を側近に延見して示すに教諭五ヶ條を以てせり。その一に曰く、新年の娯樂とする萬歳を制限し、その式三番叟以外は用辭鄙猥にして彝倫を害するものあるを以て之を演ずるを禁ず。二に曰く、禽鳥を捕獲するが爲に高構等を行ひ、娯樂の目的を達せんとして天物の生を斷つことを禁ず。三に曰く、三味線は淫聲にしてその唱歌醇風を破るものあり。武家の婦女子を教養する所以にあらざるを以て之を玩ぶを禁ず、四に曰く、賭博の禁は歴世の法令に明文あり、自今嚴に之を恪守すべし。謠曲亂舞は侯自身も亦之を好むといへども、士人に在りては私に娯樂とする程度に止め深く耽溺するを許さずと。齊廣の時弊を除くに急なるものありしを見るべし。同月齊廣また老臣に命を下して曰く、余先年來風俗を正しくせんと欲し、屢組頭に諭示する所ありしは卿等の親しく知る所なり。是を以て積弊少しく革る所あるに似たりといへども、未だ樂しみて上の欲する所に赴かざるものなきにあらず。夫君臣は一體なるを以て、臣にして君の心を心とせざるは、譬へば手足に病患あるが如し。余之を憂へて復組頭を召し、一々教諭の條目を示し、且つ彼等をして各その意見を言はしめ、然る後定むる所を諸頭に頒布せしめき。卿等亦この意を體して各配下を率ゆる所あれと。齊廣が移風易俗に關する頻々たる教諭の發布は、之を以て終末とす。齊廣が禁令の中、所謂高構の捕鳥は藩士の最も好む所にして、殆どこれを爲さゞる所のもの稀なりしが、是より先にも一たび禁令あり。藩臣富田景周はこれを以て君徳の禽獸に及ぶものなりとなし、禁殺令擴義を作りて之を賞賛せり。
猗偉矣哉。賢太公之徳量。一令興二三州之仁一。獨斷矯二百年之弊一。於レ是乎安二于故俗一之常人。溺二于逐臭一之小人。愕然自失革レ面。夫殺生之道。非三擧而爲二不仁一。易大傳謂。庖犧氏作二結繩一而爲二網罟一。以佃以漁。則物夫可レ殺殺レ之。何不仁之有乎。若爲下取二之于浮屠殺生放生一。而怯二幽冥之報應一者上。則庖犧氏。是人間之聖人。而地下之罪人也。公之本志。豈爲二浮屠一哉。孟子曰。見二其生一不レ忍レ見二其死一。聞二其聲一不レ忍レ食二其肉一。又禮曰。諸侯無レ故不レ殺レ羊。丈夫無レ故不レ殺二犬豕一。葢仁令之所二縁而出一也。在下其可レ殺殺レ之。則剛鬣柔毛腯肥翰音之祭儀。法膳陪鼎鹿鳴魚麗之燕饗。或王侯畋獵兼二試民風一之設。或養老醫藥之用。或虞人漁郎恒産之業上。是也。然而先王。猶爲レ之有レ制有レ節。獺未レ祭レ魚不レ登レ魚。鳩未レ化レ鷹不レ設二尉羅一。不レ麛不レ卵。不レ殺レ胎不レ覆レ巣。使下物各遂二其生一而不上レ夭。是即不二王者代レ天之仁道一哉。如丁其欲丙去二告朔餼羊一舍乙釁鐘一牛甲。仁傷二如息一者。聖賢既所レ不レ取亦可レ察也。至三其害二于世一。則雖二兩頭蛇之微物一。孫叔敖理レ之。矧〓狼鴆蝎蛟〓蝗〓之惡族。有二大害一者。視レ之則不レ殺而何爲。擴而充レ之。雖下唐堯之竄二三苗一。孔子之誅二少正卯一。湯武之征伐上。其揆一耳矣。今則異レ之。事二無レ故戕害一。不レ問二殺否一。壹是巧二弋罟諸術之機辟一。以レ貧二禽魚一。爲二荒佚之遨本一。軽二父母遺體一。而蹈二悚然危僻一。極二千仭嶽一竭二不測澤一。以二彼驚怖一爲二我好玩一。以二彼困苦一爲二我歡樂一。不下翅於二人情戚々所一レ難レ忍而忍上レ之。殺レ之如レ蕉。絶無二惻隱之片生一。孟子所レ謂非レ人者公然不レ耻。久レ之習與レ性薫陶。其流風擧二藩中一。萬人一心百凡荒廢。爭歸レ之猶二水之就一レ下也。故献可謇諤之信索爾。雖下老二于職一長二于官一之有司上。而不レ覺レ自二處其素餐一。動輙扼レ腕抵レ掌。相語以食レ言。誇レ獲二巨敷羽鱗一。而毫無二遜讓色一。儛蹈而不レ置。非下瞶々可二盧胡一之太甚上裁。葢事物不レ能下兼二兩全一持中模稜上。於レ是文武之道日疏。奉職之勤易レ惰。共在レ朝也。魂神爲レ之飄々乎。坐駈二于百里之外一。其在レ家亦放心。無レ翼與レ利飛。從二總角一逮二華顚一。風飧露宿。生涯跋渉。葢レ棺而始止耳。可二仰レ屋而歎一矣。今茲文政癸未。太公以二不世出之英明一。發二千古未發之大識眼一。聽二惡聲一則除レ之如レ讐。見二善道一則赴レ之如レ鶩。越悛二既往之積弊一。下二嚴然新令一。禁二無故之殺生一。絶二鄭衞之淫曲一。純二儉素一抑二奢靡一。内則勸三聖教于二泮宮一。外則勵三百武于二演場一。永使三忠貞基業垂二萬世不弛不拔之彝則一者。方今吾儕千載之昌遇。幸莫レ大レ焉。藩士不二翅承レ式守一レ之。拳二々服膺于性情隱微之誠底一。感下得恩徳緘二砭時病一之篤上。則榮路之階。吉祥之宅。不レ費二面謏苞苴一而宜レ領レ之。景周感激之所レ至。先記二移レ風正レ俗時體之一端一。而竊備二馬齒伏櫪之遺忘一也。若夫自餘更張之味。甞二此一臠一。全鼎之美可二了知一矣。 文政癸未十一月二十五日 〔富田景周禁殺令擴義〕 |