石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第四節 教諭政治

齊廣はその襲職以後二十年間に亙り、假令効果の努力に伴ふ能はざりしにもせよ頗る緊張したる政治を行ひたりしが、文政五年齡既に不惑を超えたりしを以て、文政五年十一月十五日自ら致仕して封を嗣子齊泰に傳へんことを幕府に請へり。將軍吉宗乃ち二十一日これを許し、且つ特に命を齊廣に下し、齊泰の年尚幼なるを以て藩政を攝行せしめたりき。時に齊廣金澤に在り。在封のまゝ讓國の命を得たるもの蓋し異例に屬す。是を以て齊廣は二十九日手書を老臣に與へて曰く、余の始めて封を襲ぎしより、三州統治の重任を帶ぶること二十年の久しきに及びたりしも、未だ何等善政の祖宗に紹ぎ後昆に垂るゝものなきは甚だ遺憾とするところなり。而も尚大過の咎を世に受くるものなきを得たるは、一に卿等の能く輔佐の任を盡くしたるが爲ならずんばあらず。今や余又將軍の懇命を奉じ、當侯幼弱の間尚政務を攝行せんとす。冀はくは卿等更に奮勵一番し、余をして有終の美を濟すを誤らしむることなかれと。