石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第四節 教諭政治

次に齊廣の試みたるは刑法の改正にして、文政五年十一月四日磔刑に當る者の子を連坐せしめて斬に處するの律を除きしことなりとす。蓋し無辜を刑するの憐むべきは、夙く先侯治脩の注意する所となりしも、老臣及び公事場奉行は容易く祖宗の法改廢すべからずとなし、固く執りて協せざりしなり。是を以て齊廣亦その志を嗣ぎ之を除かんと欲すること久しかりしが、是に至りて斷然教を下して曰く、國初の時に定めたる連坐の法は、以て一時を懾服するが爲に用ひたる權道にして、今日の如く至治の澤に浴する民に臨むの常法にはあらず。曲禮に曰はずや、悼と耄とは罪あれども刑を加へずと。况や親の罪を以て刑を無知の幼稚に行ふは甚だ謂れなし。今より後、齡の少壯を論ぜず悉くこの律を廢すべしと。然りといへども齊廣の改めたるは、磔刑者の子を斬に處する場合にのみ限り、その趣旨は事の悲慘なるを憐むの意に出でしものにして、連坐その事の法理上不條理なるを認めたる結果にはあらず。さればこの後文政六年二月二十七日郡奉行小堀政安等が、博奕を行ひたるものある時その居村に屬する民を盡く連坐せしむるの法を設けんと稟請したりしに、齊廣は之を裁可したりき。