石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第四節 教諭政治

改作法復活の令を發したる後、三月十七日齊廣十村等の職を奉じて豪華の生活を營めるもの三十一人を算用場に捕へしめき。或はいふ、この事新田裁許某々等七名が、現任十村等の專ら奢侈を事とするを以て、田家皆その餘風を受け業を失ひ産を破るもの多しとの説を傳へ、以てその職を覬覦せんとしたるによると。然れども這次十村捕縳の事は領内三州に亙れる大事件にして、新田裁許等の微々たる流言のみによりて起りしにはあらざるべく、必ずや前に言へるが如く關貫秀の進言に基づける高等政策の發露にして、改作奉行廣瀬欣左衞門以下七人の時務に慣れたるものを免じ、井上仁左衞門・富永權左衞門等をしてこれに代らしめ、遂に之を決行せしむるに至りしなり。而してその目的たる、固より農家一般の惰眠を覺醒せんとする際、在來の十村等が新法の施行を妨ぐるを恐るゝにありたるを以て、必ずしもこれを獄に投ずるを要せず。初は城下の旅宿に禁足し、足輕をして内外の交通を遮斷せしむるに止めんとし、次いで更に確實に檢束する爲城内臺所に置かんとの議ありしが、遂に寧ろ禁牢とするを便なりとせしものにして、藩吏自ら之を嚴政と稱したりき。然るに偶獄中に時疫を患ふるものありしかば、四月稻村藤太の先づ感染したる外死者數人に達し、次いで島村善兵衞・加納村兵衞以下多く之に罹り、善兵衞の子義左衞門と兵衞の子彌八郎とは代牢を出願して許可を得たり。是に於いて特に彼等の取扱を寛大にし、好晴の日を擇びて公事場庭前の散策を許し、朝四の刻より夕七の刻に至るまでは樹蔭に憩ひ茶を飮み煙草を喫するを得しめ、故らに監視の吏を避けしめて、起居の自由を與へたりき。閏四月郡奉行改作奉行等連署して、十村等の罪を宥されんことを請ひて曰く、十村等の大厦を構へ書院を美ならしむるものは、敢へて奢侈を事とするが爲にはあらず。蓋し藩侯放鷹の際こゝに休憩し、若しくは幕府巡見使の宿舍に當てらるゝことあるを以て、豫め之に備ふるが爲のみと。齊廣批して曰く、余の放鷹を行ふは素より遊樂の爲にするに非ずして、農民の貧富・土地の肥瘠・吏治の善惡を察せんとするに因るなり。古人言はずや、君を立つるは氏の爲にして、君の爲に民を置くにあらざるなりと。然らば則ち邦君の休息に備へんとして大厦巨屋を設くるも、邦君たるもの如何ぞ之を觀て快しとせんや。農は農たる分限を守るを以て可とすべく、余も亦茅屋破蓆に憩ひて親しく下民の疾苦を察すべきなり。巡見使諸侯の領内を視察する場合も亦同じ。徒らに華美を事として堅實の風を缺くは、治績の擧らざるを示し紀綱の廢頽せるを暴露するものにして、領民として藩侯に對し不敬なるの甚だしきものなりと。かくて十村等は獄に在ること一百日に及びしが、六月二日に至りその罪を斷じて多數を流刑と定め、纔かに一部を宿預け又は赦免とせり。

 能美郡  寺井村  宗右衞門  曲村流罪     犬丸村   與右衞門 向田村流罪
 石川郡  福富村  六郎右衞門 向田村流罪    淵上村   源五郎  赦免
 河北郡  御所村  長 次 郎 源兵衞父、牢死  御所村   源兵衞  曲村流罪
      南森下村 三郎右衞門 曲村流罪     笠島新村  八三郎  向田村流罪
 口 郡  酒井村  一   樂 赦免       荻谷村   七左衞門 曲村流罪
 奧 郡  折戸村  源   助 牢死       稻村   藤  太 牢死
      馬場村  八左衞門  [喜右衞門父、 宿預申付]   馬場村   喜右衞門 牢死
     中居村  三郎右衞門 [三郎兵衞父、 宿預申付]   中居村   三郎兵衞 向田村流罪
 礪波郡  内島村  孫   作 小豐次父、牢死  内島村   小豐次  向田村流罪
      戸出付  又   八 向田村流罪    宮丸村   次郎四郎 向田村流罪
 新川郡  沼保村  彦 四 郎 [幸右衞門父、初宿 預申付、曲村流罪] 沼保村   幸右衞門 向田村流罪
      山田村  祐 三 郎 曲村流罪     石佛村   重右衞門  赦免
      神田村  七郎右衞門 小左衞門父、赦免 神田村   小左衞門  曲村流罪
      天正寺村 七   郎 曲村流罪
 射水郡  加納村  兵   衞 [向田村流罪、 在島中死亡]   下條村   彌二郎   牢死
      島 村  善 兵 衞 向田村流罪    大門新町村 七右衞門  曲村流罪
〔齊廣御傳略等抄〕