石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第四節 教諭政治

この際文化五年正月十五日金澤城に罹りしことは、齊廣の緊縮方針を妨ぐること極めて大なりしも、恰も經濟界の膨脹時代に當れるを以て、臣僚庶民爭ひて金穀木材を献じ、以て速かに復興を遂げんことを希ひたりき。齊廣江戸に在りて之を聞き、教を老臣に下して曰く、頃者居城祝融に罹りしを以て、士民の資材を輸するもの甚だ多しといへり。思ふに余の不徳を以てして、尚能く此の如くなるを得るは、素より祖宗の遺徳深く民心に浸染するものあるに因る。然れば則ち益身を以て國務に竭し、敢へて群下を煩さざるを念とせざるべからず。卿等能くこの旨を體して諸頭役に知らしむる所あれと。而して從來諸侯城郭災に罹るときは資金を幕府に借りて修築するを常とせしを以て、這次に於いても老臣等皆舊に據らんことを欲したりしが、齊廣は別に考ふる所ありとしてその請を許さゞりき。次いで三月十五日齊廣將に國に就かんとして暇を將軍家齊に告げしに、將軍は旨を老中に傳へしめ、齊廣が舊慣によりて城郭修築の資金を幕府に請はざりしを以て、これに代ふるに參觀の期を緩くして三年間の在國を許し、年始八朔三節以外に於ける、年中の進貢を五ヶ年に亙りて廢せしめき。齊廣乃ち三月二十八日國に歸りて老臣本多政禮の邸に入りしが、閏六月廿八日城郭經營の工を起し、六年四月二十六日落成せしを以て移徙し、五月六日・七日大に猿樂を奏して老臣以下諸吏の觀覽を許せり。齊廣がこの大工事を行ふに當りて、幕府の力を假らざりしは、勤儉力行を以てこの難局を打開せんと欲したるに因る。財政の窮迫は時に多少の弛張なきにあらざりしも、略前代に同じかりしなり。

金澤城石川門(上)と橋爪門(下)寫眞 金澤市大友佐一氏藏

 
 

金澤城鼠多門(上)と廣式遠望(下)寫眞 金澤市大友佐一氏藏