石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第三節 風教作振

善藏の死に就くや、御番頭武田喜左衞門・坂井要人、御横目今井恒右衞門・石川茂平、金谷御横目山本九郎太夫、同御小將頭江守平馬・神尾伊兵衞、同御番頭河地才記等之に臨み、吉村安左衞門は介錯、永田直右衞門は介副の任に當れり。善藏永訣の詞にいふ、『茂りあふ一村松の春の雪消えても千代の陰にぞありける』と。享年二十三。諡して衝漢院といひ、大乘寺に葬る。後天明六年正月二十五日特に中村萬右衞門の遺跡を復し、中村才記の二子髯四郎に新知三百石を與へ、又高田善藏の家を興し、村鐵三郎をして襲がしめ、新知百石を與へたりき。
五ヶ年屋困窮之助方にて拂候懸物等目録
 二 幅 對  葛卷權佐(昌興)像・高田善藏像。此直段百萬石。
 壹   幅  竹田五郎左が善藏をいたはる所。此表具三十貫目餘之入用懸り候由。
 壹   幅  佐々木が先鋒うろたへたる所。古き大津繪。
 壹   幅  江馬平馬於御殿取唀之件。但幅柄之出來も宜、余程之直段有之由。
 壹   幅  高田治太夫妻、脇之下より善藏を生む所。此壹幅虫干杯に出候節承傳候。貴賤群集に而、賽
        錢山を積候由。
 壹雙屏風   中村一家の人々耻をかく所。
 同二枚屏風  喧嘩追懸者役の迷うて居る所。
 大 横 物  萬右衞門が家督を花屋治右衞門願ふ所。此直段三人扶持代圖りの由。
 一   卷  未來記、竹田市三郎筆。但高田善藏安永九年二月八日中村萬右衞門を突伏候趣書記有之由。
 一   幅  高田善藏二月十五日未の刻入滅の場。但大乘寺利尚高入札にて取落候由。
 右善藏所持之品は買人せり上、底の拔けた反古籠、穴の廣がつた火吹竹に至迄、百兩餘之入札。其外品々掛物類御座候得共、少外に相障候に付致略候事。但萬右衞門所持之道具は望人無之、適ゝほしいと思ふ物は盜み物か拜領物かと疑ありて賣れ難し。
〔政鄰記〕
      ○
竹 の 露
 次第『心づくしの如月や、〱、今日の夕べはいかならん。シテ『是は北國方の君に仕へ申、高忠(高田)と申す者にて候。我君邊に隙なき所に、ある夜ふしぎの夢を見る。今君の側に逆臣あり。この逆臣を助けおかば、國家萬民の愁近きにあり。汝この逆臣を害するならば、治世の忠臣萬代に名を流すべし。如月八日こそ思ひ立つべき時なれと、あらたに靈夢を蒙りて候。やう〱今日に相當りて候程に、本望を達せんと思ひ立ちて候。道行『思ひ立つ死出の山路は安けれど、〱、はゝその森の露深き今日また明日の昔ぞと、只何事も君の爲、實武士の身ぞつらき、〱。詞『急候程に、常能殿(金谷殿)に著きて候。暫く心を靜め、彼逆臣を待たばやと存候。一セイ中槻『望みある、身ぞとや人はおもふらん。けふまた出でゝこゝろみん。シテ『いかに中槻(中村)殿に申すべき事の候。中『何事にて候ぞ、此方へ御參り候へ。シテ『いや夫にては申難し。此方へ御出ありて給り候へ。中『さらばそれへ參らんと、何心なく座につけば。シテ『逆臣天罰思ひ知れと、いふより早く指通せば。同『すは狼藉と面々は、〱、追取りこむれば少しもさわがずして、しづ〱と衣紋正しく常の如くに座しければ。中入シカ〱。ワキサシ『それ世は末世に及ぶといへども、忠臣はいまだ目のあたり、是と申すに我君の御威徳、仰ぎても猶あきたらずこそ候へ。ワキ詞「是は竹氏(竹田)の何某にて候。扨もわれ養家を相續し、いまだ月日立たざる所に、近代稀なる武士を預り、家の面目申すも中々愚なり。彼の人死命を給はる事、君甚だ惜しませ給へども、治世の大法にて候間、この十五日誅し申せとの仰にて候。この由申聞せばやと存候。いかに高忠殿、竹氏が參じて候。シテ『河竹氏と候や。此方へ御入候へ。さて最期はいつにて候ぞ。ワキ『さん候君にも深く惜しませ給ふといへども、大法にて候間、明日十五日誅し申せとの御事にて候。御名殘申すばかりなく候。シテ『扨は明日十五日死命を給はるとや。荒有難や候。殊更明日十五日は、我らが亡父の忌日なれば、日こそ多きに此上の望みや候べき。扨も此程竹氏殿の御芳志、生々世々忘れがたく候。ワキ『誠にいさぎよき仰にて候。又御身なからん跡の御望あらば承度候。シテ『今に始めぬ御志有難候。本來兼ての覺悟なれば、なき跡とても望なし。ヨワク 去ながら殘りし母の心をば、同『流石にたけき武士もしばし言葉の中絶ぬ。クセ『去程に竹氏、高忠に向ひ申樣、願はくは御身の辭世を詠じ給へかし。起臥に吟じて、添ふ心地して慰まんと泪ながらに乞ひければ。シテ『いかなれば加程になき跡までも竹氏のしたはせ給ふ事候ぞ。今は辭すべきにあらずと、言へば竹氏喜悦して、短册やがて取出し、硯と共に參らする。高忠短册手に取りて墨摺り流し筆を染む。ワキ詞『いかに高忠、辭世の和歌をあげて一指御舞候へ。同『しげりあふ。シテ『しげりあふ、一村松の春の雪、消えても千代の陰にぞ有りける。シテ『かく詠じつゝ筆を留め、耻かしながらなき跡のかたみとも見よ君ならで、誰にか見せん腰折れと、座をあらためて渡せば、竹氏取りて再吟し、文武二道のものゝふと感涙をとゞめ兼、名殘惜しげに入給ふ。同『かくて時刻も移り來て、死命の上使給はれば。シテ『高忠は謹んで御請け殘る所なし。キリ『扨最期にも成りければ、〱、腹一文字にかき切りて、あへなく露と消えにけり。實に名を殘す武夫の千代の國こそ久しけれ、〱。