石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第三節 風教作振

寛政七年には又孝子與三左衞門の旌賞せらるゝありき。與三左衞門は能美郡三坂の人にして、幼より孝を以て知られしが、年十七の時父を喪ひ、家貧しくして負債に苦しめり。與三左衞門乃ち田宅を售りて之を償ひ、又自ら同邑總左衞門の家に奴となり、餘暇を以て力作して母を養へり。是の如きもの凡そ一紀にして稍餘財あるに至りしかば、與三左衞門は嘗て父が總左衞門にぎし田を購はんことを請ひしに、總左衞門その志行に感じ價を收めずして之を與へたりき。母隣人を納れて與三左衞門の婦とせしに、婦も亦孝順なりしが、一子を擧げたる後幾くもなくして死せり。是に於いて故舊皆繼妻を容れしめんとせしに、與三左衞門曰く、その人を識らずして娶り、若し母の悦ばざることあらば、則ち離別せざるを得ず。これ獨我が家の憂たるのみならず、亦人の子を害ふなりと。遂に娶らずして益孝養に力め、母の病みし時には、己の腹を以て母の足を温むるに至れり。既にして母の歿するや、與三左衞門は晝夜慟哭し、水漿口に入らざるの數日、哀毀の状轉た人を動かすものありき。