石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第三節 風教作振

又與兵衞といふ者ありて、金澤鱗町に住し、家を能登屋といへり。與兵衞の弟三人皆孝友、與兵衞は内に在りて父母に給事し、他は賈を業とするを常とせしも、若し父母の疾むことあれば、同胞皆外に出づることなかりき。後父七十八歳にして殺せしを以て、人與兵衞に婦を迎へんことを勸めしも、與兵衞は母の意を煩はさんことを恐れて遂に肯んぜざりき。與兵衞又暇あれば日夕戸外に出でゝ道路を修理し、三冬積雪ある時は耒を採りて之を除き、若し氷凍凝結すれば灰を散じて顚倒の憂を防ぐを常とし、天明三年秋大水ありて、鱗町に架する所の橋梁爲に流失せんとせし時には、與兵衞兄弟大石を運び來りて之を壓へ、以てその難を免れしめき。寛政三年錢若干を賜はりて之を賞せらる。