石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第二節 財政逼迫

天明三年諸色高直にして金融逼迫し、七月の節季に諸拂を爲すこと能はざりしかば、御勝手主付村井又兵衞長穹及び前田土佐守直方は引責指扣を命ぜられ、御算用場奉行藤田兵部安貞等も亦指扣を命ぜられたり。この年氣候不順にして凶作全國に亙りしかば、十一月御用番前田大炊孝友は町民一般にを食とすべきを諭し、翌四年二月十七日には、用米の不足を感ずること益甚だしかりしといへども、外より之を輸入するの途なかりしを以て、嚴に又は雜炊を食すべきを命じ、資産の豐なる者も亦貧者と憂を別つべく、穀菽の餘剩あらば之を他人に貸附し若しくは賣却して、秋收の季に至るまで食料を持續せざるべからざるを令せり。次いで同月晦日又頭分以上の士に論示する所あり。曰く、如今在江戸の老侯重教及び今侯治脩共にに歸らんとし、旅費及び日常の費用を要すること大なるも、去歳の凶作により農商金穀を有すること尠きが故に、外より約二萬兩の借欵を爲さんと計畫しつゝあり。而して若しこの借欵にして成立せずんば、憾むらくは兩侯發駕の期を延べざるべからず。抑費の缺乏を告ぐること多年に亙れりといへども、未だ危急今日の如く甚だしきはあらず。士として祿を食むもの、亦深く之を念頭に置きて機宜に處せざるべからずと。之によりて當時の事情を察すべし。然るにこの後幾くならず、重教三月十五日を以て金谷御殿に歸り、治脩四月朔日金澤城に入りたるによりて考ふれば、江戸の邸吏は何等かの方法を講じて費用を融通し得たる如くなるも、固より單に一時を糊塗するに過ぎざりき。