石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第二節 財政逼迫

明和八年四月治脩重教の後を享けて藩侯となる。この時の收支益均衡を得る能はざるに至りしを以て、十一月諸士に令し、明年以後三ヶ年を限り草高百石に付き十五石宛の割合を以て上納せしむ。蓋し寳暦六年の制は、諸士が自發的に献納を請へる形式を採りしを以て之を上米(アゲマイ)と稱したりしも、こゝに至りて借知といへり。但しその實は相同じく、名は借知といふも貸借の關係にあるものにはあらず。既にして安永四年豫定の三ヶ年を經過したりといへどもは之を停止する能はず、爾後毎乍之を繼續せしかば、獨諸士をして困窮に陷らしめたるのみならず、その影響する所庶民も亦市況の不振を歎ずるに至り、偶物價騰貴して彼等の生活を脅威したりしかば、六年正月十六日城下堀川の住民等多數集合し、石川郡粟崎村なる木屋藤右衞門の家に赴きて米錢を強請せり。藤右衞門は海運を業とし、家世々豪富を以て聞えたるものなり。安永八年三月十四日藤右衞門の新造せる大黒丸は、積載の量二千石にして、長二十間四尺、幅七間二尺、船底までの深さ四間、屋根までの高さ五間三尺、面の高さ四間四尺にして、その巨大なる頗る人目を驚かしたりしといへり。