石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第二節 財政逼迫

次代宗族の時に及びても、上下の經濟状態は毫も良好なる傾向を示すことなかりき。大地新八郎昌言が侯に上りたる封事に、風俗の敗壞は窮乏これが階を爲すものなり。是を以て風俗の敗壞を救はんと欲せば、宜しく先づ賑貸するを要すといへども、今日上下共に窮乏の甚だしきものあるを以て、賑貸の事全く施すに逆なし。されば侯の明決果斷によりて、宜しく衆と共にその法を議せざるべからずといへるに由りて、當時の事情を察するに足るべし。昌言は室鳩巣の外甥なり。宗辰その言を是とし、延享二年十月六日有司に諭し、冗費を省き節儉を行ひ、諸局心を一にして成功を期せしめ、十二月にも奢侈を戒め文武を勵ましめき。次いで三年六月又令して、方今諸士困窮するを以て、は之が救濟の方法を講ぜんと欲すどいへども、府庫既に缺乏してその意を果すこと能はず。是を以て諸上納金の缺負及び元文二年以降に於ける町方よりの借銀・買懸の返濟に當つるが爲、知行草高百石に對して十五石を除知とすべく、且つ今後町方より子を借用せんとする場合に在りては頭役の奧書を加へたる證文を交付すべく、これなくして貸附せる債權者は強ひて債務の履行を促すこと能はずとし、その他士庶吉凶の禮より服飾に至るまで皆制限を加ふる所ありき。