石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第一節 大槻騷動

眞如院の生める利和は江戸に在りしが、寛延二年二月六日病羸と稱して金澤に歸住せしむべきことを幕府に請ひ、次いで四月二日江戸を發し、十三日金澤に着し、小立野の郊端上野に新築せる居邸に入らしめ、外出面會を禁止せり。然るに寳暦九年三月廿二日利和痼疾たりし急癇を發して遂に癒えず、二十三日その死を發表せり。時に年二十五。弟八十五郎は村井氏より離籍せしが、尚幼なりしを以て金谷殿の廣式に居らしめ、寳暦九年四月金澤城燒失の後その保傳高畠木工の家に移り、十一年五月十二日二十一歳を以て死し、而して總姫の富山夫人たりしこと舊の如く、楊姫は寳暦二年七月を以て秋田侯佐竹義眞に嫁せり。