石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第一節 大槻騷動

然るに重凞は直躬等の進言に就きて多く採用する所なく、自ら刑を定めて、眞如院を甚右衞門坂下の今井屋敷に終身禁錮することゝせり。而も當時眞如院の病重くして居を移す能はず、舊の如く金谷殿の廣式縮所に置きしに、寛延二年二月十五日四十三歳を以て死せり。これ長瀬五郎右衞門が諭して縊死せしめしなり。今の尾山神社の北方に、藩政の頃一桐樹を栽ゑて不淨の地なりと傳へしもの、即ち縮所のありし所なりといふ。眞如院の屍體は、小立野日蓮宗經王寺番神堂側の畠に埋瘞す。この地今金澤醫科大學の敷地に屬す。經王寺は後に墓地を轉ぜしが、その中に眞如院妙本日融大姊の石碑あるは、後世の經營にかゝるものなるが如し。

 一、眞如院今井屋敷に縮所出來移之申筈之處、頃日煩に付延引之由。翌寛延二年二月十五日朝金谷於縮所死去、夕方經王寺之寺内に葬之。其節御留守居物頭長瀬五郎右衞門并御廣式御用達御歩横目罷越、番神堂横畠中に埋之。
〔政鄰記〕