この年八月二日重凞内書を 前田直躬に賜ひ、 眞如院及びその所生の公子女の 處分に關して下問せり。直躬乃ち他の 老臣と議し、詳かに案を具して之を上り、 眞如院及び 淺尾を死に處し、利和・八十五郎を終身 謹愼せしめ、總姫は病と稱して 富山侯より 離婚せしめ、楊姫は將來婚嫁せしむべからずとの 意見を述べたりき。 八月二日御近習 人持富田次太夫儀御密用有 レ之、 江戸發足、同十三日 金澤に到着、 年寄中并 前田土佐守(直躬)え被 二仰付 一候趣有 レ之。人々より御請も被 レ上 一之。毎々 越後屋敷え右人々寄合有 レ之。同廿四日次太夫發出、 江戸表え立歸。是 眞如院一卷御密談と風説云々。 〔政鄰記〕
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