石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第一節 大槻騷動

裁判の結果に依れば、大槻長左衞門は朝元の獄中に子及び火箸を送附し、久保田四郎右衞門は朝元の妾たりし彼の妹が朝元に音信を通じたりしを默過し、高桑政右衞門は朝元に面會せんと欲して五箇山の籠の渡に至りしも河流を越ゆる能はずして歸り、又旅費を得んが爲朝元の舊領に赴きて農民より金を得んとし、金澤河原町の小鳥商小松屋左七は、長左衞門及び十左衞門に會合の便宜を與へてその家屋を提供したるのみならず、朝元に對する書状音物の仲介を爲し、朝元の生母惠照院等は金品書簡を送附せり。朝元の自殺に用ひたる小刀は、朝元が五箇山岩淵村の乞丐小助に託して購はしめたるものにして、彼は縮所内より水を放棄るが爲小孔を羽目板に穿たんと欲するを理由として、利刄を得んことを囑し、一歩を與へたりしに、小助は城端に出で捕鳥の内臟を抉ぐるに使用するものを購ひ與へたるものとし、組合頭十左衞門は朝元の請を容れ、屢金澤に赴きて朝元の兄長左衞門・母・姊及び婢女の消息を通じ、二人の番人も亦朝元の爲に金澤より衣類等を齎したりとの情を得しかば、遂に寳暦四年閏二月二日に至り連累一同の刑を確定せり。その宣告文中、大赦の時節なるを以て減等すといふは、前年九月藩侯重靖の卒したるをいふ。而して連累中に朝元の妻を見ざるは、そが元文四年八月十四日既に歿し、五年二月二十九日重ねて前田善左衞門の妹を迎へたるも奉公人の名義たりしのみならず、事件に關係なかりしを以てなるべし。

                   御徒小頭並         大槻長左衞門
 右長左衞門儀、大槻内藏允禁錮仰付置候處、度々通路仕、其上縮所え過分之金子並火箸等遣候段、御上を掠候仕形不屆之儀、重罪至極之者に付不赦之御沙汰、追而生胴
                   右長左衞門次男新番並    大槻長次郎
                   同人三男          大槻七之助
 右兩人儀、父長左衞門依罪可殺害者に候へ共、長左衞門儀先達而致病死、其上彼是御大赦之御時節に付死刑一等御宥免、五箇山之内え流刑
  但七之助儀は幼少に候間一類え被預置、及十五歳候者可斷旨可申渡候。
                   長左衞門嫡子御馬廻組    大槻長太夫
 右長太夫儀、大槻内藏允方より長左衞門方え便有之、品々指遣候儀乍存諫をも不申、組頭にも訴不及段、御上を茂不憚仕形不屆至極之者に付、刎首仰付者に候得共、彼是御大赦之御時節に付死刑一等御宥免、五箇山之内え流刑
                   御馬廻頭          園田兵太夫
 右兵太夫儀、大槻内藏允方より長左衞門方え便有之、母并長左衞門方より品々差遣候趣乍承其分に仕、母に諫をも不申、組頭にも訴不申、剩其身よりも紙面をも可遣存寄、御上を掠候段不屆至極に付、刎首仰付者に候得共、彼是御大赦之御時節に付死刑一等御宥免、五箇山之内え流刑
                   兵太夫せがれ        園田兵次郎
 右兵次郎儀、父兵太夫依罪可殺害者に候得共、彼是御大赦之御時節に付死刑一等御宥免、五箇山之内え流刑
  但兵次郎儀幼少に候間一類え御預置。及十五歳候者可斷旨可申渡候。
                   大槻内臟允實母       惠 照 院
 右惠照院儀、内藏允方え通を仕、金子等も差遣候段、母之儀ながら不屆に付、流刑仰付候得共、彼是御大赦之御時節に付其段御宥免、一類え永く御預。
                   園田兵太夫母        寳 山 院
 右寳山院儀、内藏允方え通を仕、干菓子等差遣候儀、姊之儀ながら不屆者に付、流刑仰付候得共、彼是御大赦之御時節に付其段は御宥免、一類え永く御預。
                   大槻長左衞門妻       も   と
 右もと儀、重罪之妻に付、一類え永く御預被成者に候得共、彼是大赦之御時節に付、其段御宥免
                  大槻内藏允最前召仕候老女  増   田
                   [最前内藏允家來當時浪人久保 田四郎右衞門妹但内藤允妾]  た   み
 右増田・たみ儀、内藏允方え致通路、音物贈答仕候段不屆に付、流刑仰付者に候得共、爲赦御領國追放代之刑二ヶ年禁牢之上出牢
                   浪   人         久保田四郎右衞門
 右四郎右衞門儀、内藏允方え通路仕候儀は無之候得共、妹たみ方より内藏允え通路仕儀乍承、最初押隱罷在候段、不屆之至訝躰に付、可永牢者に候得共、爲江戸大阪御構追放代之刑三ヶ年禁牢之上出牢
                   祖山村組合頭        十左衞門
 右十左衞門儀、役人に候處、内藏允方より大槻長左衞門方え度々書状之便仕、其上内藏允より金子貰候段、不屆至極之者に付不赦之御沙汰、追而生胴
                   右十左衞門せがれ      太 郎 吉
                                 又   吉
 右兩人儀、父十左衞門生胴仰付、可殺害者に候得共、十左衞門儀致牢死候付爲赦命御助け、江戸大阪御構追放代之刑三ヶ年禁牢之上出牢
                                 小松屋左七
 右左七儀、内藏允方より書状爲持遣、并致音物候段、不屆至極之者に付可斬罪者に候得共、爲江戸大阪御構追放代之刑三ヶ年禁牢之上出牢
                   右左七せがれ        四郎兵衞
 右四郎兵衞儀、父左七死刑御宥免付、不御貪著
                  禁錮番人          三郎次郎
                                 傳 兵 衞
 右兩人儀、内藏允縮所え着類等入、其上兩人共内藏允より金子貰候段、別而不屆至極之者共に付不赦之御沙汰、追而生胴
                   右三郎次郎せがれ      平 次 郎
                                 市 之 助
 右兩人儀、父三郎次郎生胴仰付、可殺害者に候得共、三郎次郎儀致牢死に付爲赦命御助、江戸大阪御構追放代之刑三ヶ年禁牢之上出牢
                   岩淵村百姓         小   助
 右小助儀、内藏允縮所え度々立寄、其上小刀求遣、金子を貰、福光村に使相勤候段、重々不屆者に付不赦之御沙汰、追而生胴
                   祖山村肝煎         又 兵 衞
                   同所組合頭         三   内
 右兩人儀、内藏允え荷據之筋は不相聽候得共、役人之儀候處、内藏允禁錮不縮之樣子等心付不申段不屆者共に付、御領國追放代之刑二ヶ年可禁牢者に候得共、爲御宥免、尤役儀指除
                   十村、岩淵村        伊右衞門
 右伊右衞門儀、内藏允縮所支配之地に付、鍵者預り罷有、緒方之儀者不相勤由に候得共、常々支配方等不宜趣共茂有之に付、急度可仰付者に候得共、爲赦其段御宥免十村役は被差除
                  最前内藏允家來、當時浪人  高桑政右衞門
 右政右衞門儀、同上(マヽ)致轉展、内藏允配所え可越所存眞僞難計、其上子等指引に事よせ、最前内藏允方え好有百姓共手前より、子貪り取可申存寄りにも相聞、不屆者に付可永牢者に候得共、爲江戸大阪御構追放代之刑三ヶ年禁牢之上出牢
                   右政右衞門せがれ      高桑浪江
 右浪江儀不御貪著
                   大槻内藏允せがれ      大槻尚之助
                                 同 榮次郎
                                 同 猪三郎
 右三人儀、父内藏允配所於禁錮自殺候首尾に付、殺害仰付者共に候得共、彼是御大赦之御時節に付死刑御宥免、五箇山之内え流刑
  但尚之助・榮次郎儀は先達而致病死候。猪三郎儀は幼少に候之間一類え被預置、及十五歳候者可斷旨可申渡候。
 右之通被仰付候條、被其意、夫々可申渡候。
 一、右一卷之内、不貪著者共之儀者彌可其通候。且又先達而病死之者茂有之候得共、無貪著相極候。御刑法之通書載候。
 一、内藏允・兵太夫・長左衞門娘共并長左衞門妹之儀者、一類等え永く御預被成者に候得共、彼是御大赦之御時節に付其段御宥免、不御貪著旨夫々一類等え直に申渡候。
    以 上
    甲戌閏二月二日(寳暦四年)                      横山大膳 印
                            江 戸  中川八郎右衞門
                                 玉井市正 印
                            江 戸  前田兵部
                                 横山藏人 印
                                 青山將監 印
                                 長九郎左衞門 印
                                 村井主膳 煩
                                 前田大炊 印
                                 本多安房守 印
      前田主殿助殿
      多賀宇兵衞殿
      不破彦三殿
      生駒内膳殿
      横山木工殿
      富田次太夫殿
      稻垣三郎兵衞殿
     前田源五左衞門殿
〔大槻一卷落著之寫〕