石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第一節 大槻騷動

延享二年六月吉徳の卒後僅かに數日にして、直躬は四たび在江戸宗辰上書せり。曰く、朝元先侯の病に侍して頗る禮を缺けり。その故は、彼晝夜看護の勞を執らざるべからざるに、卒去の爾三日前なる六月十日の頃より初めて宿直せしに過ぎず。しかのみならず朝元醫師小宮山了意・小宮山全柳・能勢玄達及び表方の吏井口五郎左衞門・河島吉左衞門・笠間源左衞門等と謀り、故らに侯の病状を輕微なる如く宣傳し、老臣に至るまでその實情を知ること能はざらしめたりと。然れども直躬が這次の上申は、實にその誤解たらざるべからず。何となれば朝元吉徳病状を秘したりといふは全く事實にあらずして、その巨細は悉く時人の日記に載せられ、朝元吉徳に常侍することなかりしといふも、亦朝元自身の辯疏したる所と頗る逕庭あればなり。但し多く江戸に在りて金澤の事情に通曉せざりし宗辰に在りては、直躬の言ふ所に信を措きたるが如く、その襲職以後直躬は再び藩政に與るを得るに至れり。