石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第一節 大槻騷動

是より先朝元の火消役に任ぜらる。葢し公式の辭令なくして、直接侯の口達によりしものゝ如し。是を以て元文元年四月五日金澤石浦新町に火災起るや、朝元は三十人組及び御手木組の足輕を率ゐ、の細工所に於いて製せしめたる惣桐葉の纏を用ひて消防の事に從へり。の制、古來定火消の頭役たるものは人持組の士を以て之に充つるを例とせしが、朝元は近習頭の職に在りて消防の事に從ひしを以て、頗る人目を惹きたりといふ。

 同四月五日(元文元年)石浦新町出火之時分、御近習頭大槻内藏允、三十人組之者并御手木足輕召連、火事場え馳向所々防候由。此儀先頃以來、若何方に而も火事に候得者、内藏允右之者召連罷出候筈之由末々申ならし候得共、御表向甞而御沙汰無之處、今日始而出馬也。圓居(マトヒ)は惣桐之葉三方正面之纏之由。御細工所に而出來之由。於金澤御近習之頭分火消に罷出候儀、跡々より無之事に而、今度初而之事之由申慣候。
〔大野木克寛日記〕