石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第一節 大槻騷動

傳へていふ。大槻朝元元祿十六年正月元日を以て生まれ、幼にして金澤小立野波着寺に寓せり。葢し彼は季子なりしを以て僧たらしめんとせられしが如し。後叔父長兵衞はその女子に朝元を迎へて壻養子たらしめき。之を以て長兵衞の室中村氏(光凉院)は朝元の養母たり。享保元年七月藩侯綱紀の時、初めて召されて世子吉徳御居間坊主となり名を朝元と稱し、二人扶持金二兩を賜ふ。これ御坊主を職とするものゝ常俸なり。同八年五月綱紀退隱して吉徳嗣ぐ。是に至りて朝元祿を増して三人扶持切米十俵となり、九年十一月束髮を命ぜらる。所謂束髮の御坊主なり。次いで十一年正月二十俵を加賜せられ、別に衣服二貫五百目を賜ひ、七月切米五十俵を賜ひて定番御徒並となり、奧小將御番頭支配に屬す。朝元の榮進が如何に速かなりしかを見るべし。朝元定番御徒並となるに及びて初めて士人に列し、その服裝を改め、通稱を傳藏といひ朝元を諱とせり。