石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第四章 加賀藩治停頓期

第一節 大槻騷動

大槻朝元の祖先は、會津の城主芦名盛隆の麾下に屬したる安達郡四本松の城主四本松右馬頭の臣にして、大槻の城主たりし伊藤備前なりといへり。天正の末年芦名氏の伊達氏と戰ひて敗るゝや、備前も亦難を避けたりしが、その長子は佐竹氏に仕へ、次子は相馬氏に屬し、季は則ち越前に來りて醫を業とし名を大槻玄徹と稱す。玄徹後に加賀に移り、而して朝元はその後裔なりとせらる。然りといへども、こは大槻氏由緒帳の主張する所にして、當代に於ける諸家の系圖に信を措き難きものゝ多きは論なく、殊に微賤に起りしものに在りては疑を容るべき餘地最も多しとすべし。