石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第六節 社會種々相

非人小屋の收容老中健全なりしものを擇びて農村を創始せしめたるは、亦最も社會政策の成功せるものに屬す。即ち非人小屋開設の後一年にして、綱紀は收容者を夫婦たらしめ、石川郡野田山の麓に長坂新村を創立して開墾に從事せしめしが、次いで翌寛文十二年綱紀河北潟の畔に遊獵してその地に稻田とすべき所あるを知り、又新たに一村を興さしめんとし、延寳元年この計畫を實行するや農事に通曉したる河北郡大熊村の伊兵衞を擧げて之を督せしめ、遂に沮洳の地を變じて四十餘石の美田を拓かしむることを得たり。名づけて潟端新村といへるもの即ち是なり。されば寳永元年磯一峰のこの國を過ぐるや、亦その紀行中非人小屋に言及して、侯の善政を賞せり。

 十五日(寳永元年九月)宿を出づ。此國(加賀)も古へより餓莩なく、乞兒稀なり。國の守より小屋を作らせ給ひて、疲癈殘疾の民を養はせ給ひて、病癒えぬれば又原の住家に返して産業を勤めしめ給へる由を聞て、古へ施藥院置かせ給ひ天下の癈疾の者を救はせ給ひし聖武天皇の御政まで思ひ出られて、深き御いつくしみ感じ合り。誠に民の父母たるの道なるべし。(中略)小松松任など過て金澤に著きぬ。國の守おはす所なればわきて賑へり。商家軒を比べて、朝餐夕餉の煙一二里にも立續くべし。犀河・淺川などいふ橋は淀・伏見にも劣るまじ、人馬の足音絶る間もなし。暫し人家に立寄りて休息しぬ。國の名物なりとて、菊酒など出してもてなす。
  え
にしあれば遠くもきぬる千年をも手にとりぬべき菊のさかづき
 男の立つ市と女の立つ市と、二所に分れて物を交へていと賑へり。かの目ならばすと聞えし西東の市も、斯やありけんなど古きためしも思ひ出らる。
  にぎはへる 國のしるしや たつ市の 場(ニハ)につらなる 神のかず〱
〔磯一峰越路紀行〕