石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第六節 社會種々相

綱紀の時代に於いて、武士氣質を發揮したるものとして、世人の賞を博したる者に杉本九十郎ありて、室鳩巣がその事蹟を駿臺雜話に載せたるを以て、廣く天下に喧傳せらるゝに至れり。九十郎は青地彌四郎蕃宣の配下に屬する徒士杉本三丞義隣の嫡子にして、時に齡十六なりしも軀幹短少なりしを以て、尚首服を加へずして振袖を着せり。寳永五年四月朔日の夜、九十郎は隣家なる紺屋伊兵衞の家に至りその僕勘助と碁を圍みしに、町奉行所屬なる小川七丞の子太郎三郎といふ者傍にありて、屢對手の爲に助言を與へたりき。太郎三郎は十三歳の少年なり。九十郎乃ち太郎三郎を戒め、助言が圍碁に於いて嚴禁せらるゝ所なることを諭ししも、太郎三郎これに服せざりしを以て、終に互に罵詈を交へたりき。既にして局を終へ、九十郎先づ出でて歸らんとせしに、太郎三郎は跟隨し來りて、咄卑劣漢遁るゝ勿れと言ひしかば、九十郎忽ち嚇怒し、小刀を拔きて太郎三郎を斬れり。九十郎の弟與三兵衞亦十三歳なりしが、路上喧騷の音あるを聞き、馳せ來りて九十郎を抱き、大聲して伊兵衞を呼びしに衆來り集り、九十郎及び太郎三郎を各その家に拉し去れり。是を以て組頭青地彌四郎はその夜九十郎の家に至り、事件に對する始末書を提出せしめたりき。

 私儀、隣家紺屋伊兵衞宅へ平生罷越候故、今七半時頃伊兵衞方に罷越、伊兵衞家來勘助与申者与碁打罷在候處、小川七丞せがれ太郎三郎在合、再三助言仕候に付、無用に仕候樣度々申聞候上、互に少々雜言申合、暮時碁相仕廻私罷歸時分、太郎三郎のがし申間敷与言葉を懸申に付、脇指拔伐付申候處、私弟與三兵衞在合さゝへ申内、伊兵衞抔取付さゝへ分、私宅へ同道罷越申候。右之首尾故切留不申候。隣家之儀故常々脇指迄に而罷越申候。此外宿意聊無御座候。以上。
    戊子(寳永五年)四月朔日                       杉本九十郎 在判
      青地彌四郎殿
〔杉本九十郎喧嘩一件〕