石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第六節 社會種々相

金澤に於ける遊女が、寛永中より禁止せられたることは前に之を言へる如くなるが、略之と同時に能美郡串茶屋村に遊女を生じたりき。この地は北陸本道に在りて、小松の南方一里の所とし、その一里塚の側に府中屋と稱する茶店ありて數人の婦女を置き、旅客に接待せしめたるに起る。後利常菟裘小松に營むに及び、野外に放鷹し又は那谷寺に詣拜の途次往々こゝに憩ふことありしが、彼等が給仕の任に當りしより、終には公許を得たる遊女の如くになり、尋いで浪士木下某もその附近に同一の營業を初むといへり。されど異本微妙公夜話に、『遊女僅七八人ならでは居不申。』といひ、小松の人二口某の著なる螢の光には、『串茶屋の濫觴詳かならず、昔は假初にかけし茶屋なりと聞傳ふ。』といへるが如く、固より宿場女郎の類たりしに過ぎず。且つその地支大聖寺領に屬せりといへども、當時加賀藩内には一も公許の遊里あらざりしが故に、小松附近は言ふまでもなく、後には金澤よりもこゝに赴きて遊興するものあるに至りたりき。蓋し金澤に於いても亦隱賣女の類ありしといへども、その取締甚だ嚴なりしなり。舊記に、元祿三年十月十日より十二日まで寳圓寺に於いて故利常の三十三回忌法要を營みし後、十八日先に禁牢に處せられたる遊女十九人を能登の奧郡に配流し、その中しの・さよ・きん・すま・あかし・七・しき・某の八人は外浦に、三彌・市彌・れん・久女・つね・やつ・きよ・わく・たも・きん・けんの十一人は内浦に置きたることを載せたるによりて考ふべし。