石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第六節 社會種々相

是より先光高の時、亦幸若を業とするものに伊藤八右衞門・伊藤八左衞門二人ありて、侯は屢之を召して舞はしめたりしが、その卒するに及び扶持を沒收せられて、忽ち生計の困難を感ずるに至りたりき。幾くもなく八左衞門死し、八右衞門は他邦に流浪したりしが、その子を喪ふに及び再び金澤に歸り、老臣長氏の救助によりて纔かに生命を繋ぐことを得たり。かの利常に仕へたる幸若九左衞門も、亦侯の薨後祿を失ひ、天和の頃に至りては道心者となり、路頭に立ちて食を乞ひたりしといはれ、而してこの種の藝人外より入り來ることは、既に寛文四年七月の達書に、『最前被仰出人形廻し・をどり子、並他國の座頭舞々、無故ものゝ宿かす儀停止。』といふによりて防遏せられたり。されば之によりて略加賀藩に於ける幸若滅亡の時期を知るべく、且つ幸若を滅亡せしめたる綱紀は、即ち能樂を愛好したる綱紀なりしことを思はざるべからず。