石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第六節 社會種々相

綱紀内の能大夫をして、盡く寳生流の門下たらしむるに至りたるは、當時將軍綱吉能樂を好みしを以て、綱紀も亦之に倣ひ、貞享三年寳生九代の大夫將監友春を聘してその技を學ぶに至りたる影響なるが如し。この時綱紀は亦寳生大夫の一門を祿仕せしめんとの意ありて、遂に友春の次子嘉内に十五人扶持を與へ、江戸に於けるお手役者の首座とせり。後に寳生大夫の分家と稱せられたるもの即ち是なり。既にして友春の嫡男主馬早世せるを以て、嘉内は宗家に復歸したりしが、久しからずして歿し、友春の四子九郎暢榮十世の大夫となる。而して分家の後は、友春の五子勝之助良勝之を享けて二代となり、宗家の門下たる古春左衞門の弟齋宮氏勝また三世を繼ぎ、左衞門の二子彌三郎明喬四世となる。而して彌三郎の嫡子彌五郎は、入りて宗家第十四世の大夫將監英勝となりしを以て、次子源五郎勇勝をして分家第五世たらしめ、勇勝の壻彌三郎勇祥、その子吉之助、その子吉太郎相享け、以て末に及べり。是等分家の歴世皆加賀藩祿を食みたるは、實にその端を綱紀の時に發したるなり。綱紀自身も亦舞謠を能くせることは、元祿四年四月廿五日江戸城の演能に、水戸光圀・甲府侯綱豐・紀伊侯光貞・尾張老侯光友・尾張侯綱誠・紀伊侯綱教等と共に與り、自ら葛城を舞へるを以て之を見るべし。