石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第五節 浦野事件

是より先、藩侯前田綱紀江戸に在りしが、本件の處分に關し、その後見たりし會津侯保科正之及び幕府の老中に協議する所あり。その結果彼等の刑罰を定め、岡島甚七を使者としてに下し、八月十九日浦野孫右衞門浦野兵庫・阿岸掃部・駒澤金左衞門・宇留地平八に切腹を命じ、中村八郎左衞門・仁岸權之助を越中五箇山に流し、阿岸友之助は犯罪の確定を待たずして自決せるが故に之を刑せず。而して是等諸士の兒孫浦野右衞門九郎[八 歳]・浦野三十郎[四 歳]・阿岸又十郎[十五 歳]・阿岸三十郎[十三 歳]・阿岸權十郎[十一 歳]・阿岸六十郎[九 歳]・阿岸七十郎[七 歳]・阿岸鍋吉[八 歳]・宇留地七郎[十二 歳]・宇留地又十郎[十 歳]・駒澤才藏[二 歳]は皆同日を以て殺害せられ、その他流刑追放・扶持放等に處せられたるもの三十人に及べり。農民に在りては、十二月六日久江村道閑を久江の村端にし、子兵八・六太夫・万兵衞を刎首とし、高田村二郎兵衞・能登部村永屋を梟首、三階村池島・笠師村太左衞門を追放に處し、而して能登部村上野は先に牢死したるを以て刑を加ふることなかりき。