石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第五節 浦野事件


 一、當春御檢地御詫言の御訴訟金澤へ相詰候儀、全私共企に而は無御座候事。
 一、去年十月頃檢地やみ申樣に御訴訟仕候へと被仰候へ共、私共田地より出分も無之、迷惑成儀も無御座候故、度々御すゝめ候へ共去年中は同心仕候事。
 一、當正月金澤へ罷登申刻、宇留地平八殿御申候は、能州御檢地の事此度御詫言申上可然候。去年浦野家訴訟の儀も、左兵衞樣・横山右近樣御取持被成たる儀に候へば、此度其方共訴訟も、右御兩方御聞候ば惡敷は罷成申間敷と御申候。されどもヶ樣之御訴訟申上、私共手前如何可御座哉と無念存旨申候へば、平八殿御申候は、各身命を捨取持可申候間、是非御訴訟申上候へとて、其後宇留地平八殿・駒澤金左衞門殿・飯坂源左衞門殿御三人より、五人十村方へ右御文言にて誓詞被下候故、書付上申候事。
 ・一、平八殿御指圖に而、浦野孫右衞門殿・同兵庫殿・中村八左衞門殿・阿岸掃部殿、此一卷御取持被成可下旨申、書付仕、右之御面々へ進じ置き申候事。
 一、當春金澤に罷在時分、宇留地平八殿・駒澤金左衞門殿・飯坂源左衞門殿より、肴代之由にて子五十め、五人之十村方へ被下候。御使山内義兵衞にて御座候。關左近殿より子五匁、仁岸權之助殿より金壹分一切被下候事。
 一、當春左兵衞樣へ指上候書付下書、宇留地平八殿へ懸引談合仕候事。
 右之通少も相違無御座候。以上。
    寛政七年三月九日            久江村衆村  道   閑 在判
      千田八郎兵衞殿  井關兵太夫殿
      堀部勘助殿    三引六左衞門殿
〔長家文書〕
       ○

 一、去年十一月之時分御座候哉、村井七兵衞殿御出候而、秋與(クミ)中之者共檢地訴訟申上とは不申候哉と御尋被成候。私與中檢地御詫言可申上と申者無御座候と申候御事。
 一、去年十月時分候哉、宇留地平八殿・村井七兵衞殿より申越候は、拙子共方より爲申聞候儀他言仕間布と、五人之字を村誓詞仕候へと被仰由にて、道閑方より申越候。私も判形仕候事。
 一、檢地御詫言可申上と存候間、如何存候哉と申、道閑書付爲見申候。私申候は、書付上申儀少もがてん不參候。御尋之時分は、申分私は不罷成候と申、同心仕候處、重而道閑申候は、小百姓より宇留地平八殿迄書付出置、十村同心にて無之候者、加賀樣へ書付上げ可申と申旨、平八殿道閑御かたり候由。左候へば御領内さうだう罷成候間、同心仕候書付上候而、御尋之刻申開罷成不申候と何も申處、宇留地平八殿・駒澤金左衞門殿・飯坂源左衞門殿、小百姓も騷動仕候間、自身捨申わけ被成可下候と誓詞被下候付、書付判形仕候事。
 一、二月廿日時分候哉、道閑・八兵衞・私、平八殿へ參、訴訟之儀何と成申候哉と御尋申候。宜被成由平八殿御申、御酒被下罷立、平八殿長屋八兵衞・私罷有候へ共、道閑跡に殘り爲待申候に付、私申候は、道閑仕樣がてん不參候旨存分申候。宿へ罷越而も其段申候へ共、道閑何共不申候。左樣之躰に御座候へば、密談之儀は私共不存候事。
 一、高田村二郎兵衞方より、五六年以前に候哉、子貳百目遣、秋米かい(買)くれ候樣申越候へ共、無之候由申斷り返し申候事。
 一、いんさ濱孫右衞門殿開、古開と孫右衞門殿御申被成候。私近所而無御座付、古開共慥不存候事。
 一、孫右衞門殿旅屋、馬場拵候時分、平夫にて御座候所、九郎左衞門樣より八兵衞・私被召寄候へ共御尋無御座候。左樣之樣子知候而以後、日用銀孫右衞門殿より出申候事。
 一、孫右衞門殿口入子之由、貳百日かり、但壹ヶ月壹分壹かり、借状指上申候事。
 一、孫右衞門殿こま馬と私牛と替、其牛私方預り、則子うみ、二成居申候事。
 一、去年何月時分候哉、檢地訴訟申候而、他言仕間敷とのせいし、道閑・私方へ持參仕候付、私も判形仕候事。
 一、仁岸權之助殿方より壹分一切、關左近殿より五匁、駒澤金左衞門殿・飯坂源左衞門殿・宇留地平八殿より當春金澤に罷有候(脱字カ)。尚以肴代之由、子五十め被下候事。
 一、山内義兵衞方より子五六百目、金澤相詰申百姓中かり申候事。
 一、當春義兵衞・私共金澤之宿へ罷越、孫右衞門殿御申候は、訴訟宜被仰付候間氣遣仕間敷旨、左兵衞樣御意候由度々義兵衞申候事。
 右之通相違無御座候。以上。
                           三階村十村
    寛文七年三月七日                   池   島 在判
      千田八郎兵衞殿  井關兵太夫殿
      堀部勘助殿    三引六左衞門殿
〔長家文書〕