石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第五節 浦野事件

孫右衞門等の行動かく亡状を極めたりといへども、元連・右近二人は爲に勸解し、連頼をして未だ之を知らざるが如く裝はしめ、一面兵庫等に舊の如く長家に仕ふべきを諭したりしに、五月十六日に至りて彼等は漸く出仕するに至りたりき。而も尚彼等は毫も改心せんとすることなく、昵近衆に對して連頼の處置が頗る當を失ひしを攻撃し、次いで寛文七年正月釆地の農民五六十人を教唆し、檢地の中止を嘆願する連判状を提出せしめき。これ孫右衞門等の所領に對して檢地を行はるゝ時は、諸種の奸惡を發見せらるゝの恐ありしが故なるも、その眞相を知らざる農民に在りては、檢地によりて隱蔽せる地積を明白ならしめ、隨ひて貢租の負擔を重からしむるの不利益ありたるを以て、之に附和雷同するもの多く、鹿島半郡の人心頗る恟々たるものありき。連頼乃ち事體の甚だ重大にして自ら處理するの不可なるべきを思ひ、孫右衞門の罪状を數へたる覺書を作製して、閏二月十五日之を老臣に提出し、その評議によりて藩侯の裁斷を仰がんことを請へり。