石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第五節 浦野事件

既にして連頼大に先非を悔い、佐藤勘右衞門を使者たらしめて京師に遣はし、久しからずして孫右衞門を召還せんとの條件を附して、先づ釆女の歸參を求めたりき。高田内匠潛かにこれを聞き、事態の急に一變して彼の爲に不利たらんとするを慮り、同月七日を以て小松に至り、常時その地に隱棲せる老侯利常の近習に就き善後の方法を議したりしに、却りて彼が私曲を行ひしこと露顯せしかば、利常の命によりて追放に處せられたりき。次いで十月十日加藤采女は長家に歸參し、而して連頼が孫右衞門を召還することに就いては、初め阿部甚右衞門が彼を伊豫侯に周旋したる關係あるを以て、亦甚右衞門に囑して計らしめんとせり。甚右衞門これを辭して曰く、余固より犬馬の勞を厭はざるべし。然れども曩に伊豫侯の孫右衞門祿するや、余は侯に謝して生涯の厚恩なりといへり。されば今何の理由を設けて再び彼を得んと言はんや。况や長氏加賀藩の重臣たることは伊豫侯の能く知る所なるが故に、余が加賀藩に諂ひて前言を食めりとせらるゝあらば、何の面目ありてか他日伊豫侯に見ゆるを得べき。卿之を諒とし、余をして交渉の任に當らしむること勿れと。連頼已むを得ずしてこれを利常に告げ、侯の力を假りて高木筑後守正次に頼り、以て纔かに其の意を伊豫侯に致すことを得たり。此の時先の孫右衞門已に歿し、子兵庫父の名を襲ぎたりしが、伊豫侯は之を去らしむるを欲せざりしといへども、利常の依頼を拒むごと能はざりしを以て、遂に暇を與へたりき。