石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第五節 浦野事件

連頼の臣加藤釆女秀親之を見て以爲らく、先に屢孫右衞門と共に主君を諫めたりといへども、金言耳に逆ひて遂に用ひられざりしは、これ實に君家衰滅の機至れるなり。此の時に當りて命を棄てゝ直言せざれば、恐らくは臣道を盡くさゞるの譏を受けんと。即ち寛永十九年九月二日を以て連頼に謁し、襟を正しくして敢へて暇を賜はらんことを請へり。連頼驚きて曰く、卿の請頗る唐突に出で、その眞意の果して那邊に存するかを知るに苦しむと。釆女乃ちその赤心を披攊して曰く、臣曩に屢之を主君に献言せり。高田内匠は元と商賣の家に人と爲りしものにして、仁義を解せず、士道を知らず、その心利欲に長じて侫奸甚だし。之に反して孫右衞門は、長氏舊勳の家を享け、君命を重しとし、忠孝を主義とする者なり。方今長家に在りて、故實舊例漸く廢れ、紀綱の弛滯日に甚だしく、武備を怠りて懦弱に走るもの、一に忠良の退けられ、姦邪の進んで要路に當るが故ならずんばあらず。形勢既に此の如くなるを以て、我が輩同じく主家に勤仕するもの、何れの時か惡名を負はざるを保すべき。如かず緇衣を着けて江湖に放浪するの勝れるにはと。終に去りて郊外野田村の桃雲寺に入り、髮を剃りて意安と號し、次いで京師に赴きて新黒谷に隱る。