石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第五節 浦野事件

是より先連頼は、京師商賈の子西村新右衞門を擧げて子小姓たらしめしが、高田與助は請ひて之を嗣子たらしめ、名を高田内匠と改めしに、内匠は素より怜悧にして辯才ありしを以て、漸く連頼の重用する所となり、祿五百石を給せられて老臣に班せり。是より内匠は威福を張りて舊臣を排除せんと欲し、奸譎の策を廻らして孫右衞門を讒せしかば、孫右衞門は屏居して出仕せず、寛永十一年遂に改易せらるゝに至りたりき。孫右衞門乃ち去りて江戸に至り、藩士阿部甚右衞門の斡旋によりて、伊豫侯松平隱岐守定行に仕へ、その子兵庫も亦初め高野山に隱れしが、次いで父と同じく隱岐守の臣となれり。かくて高田内匠は、その最も忌憚する所の者を除き得たりしを以て、益我意を擅にし、新格を專らとし、己に從ふ者を推擧し、忤ふ者を疎んじたるが故に、長氏の家政大に紊亂して收拾すべからざるに至れり。