石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第四節 極盛極治

元祿八年、領内風雨順を失ひて五穀登らざりしかば、農民は貢租を納るゝこと能はず、爲にその資財を賣りて之を償ふものあるに至り、米價騰貴して衣食を得る能はざるもの甚だ多かりき。是より先綱紀は、七月六日を以て江戸に往きしが、金澤に留守せる老臣本多政長前田孝貞以下、皆この危急の時に際して何等積極的手段を講ずる能はず、唯纔かに改作法規定せらるゝ貸米農民に交付したるに過ぎず。米價引下の方法としては、士人に一日一食は必ずを以てすることを令し、藏米に殘餘あるものは悉く賣却せしめ、又城下に米穀を搬入せんとする者ある時郊外に要して強買するを禁じ、三十日以上に亙りたる延賣買を停止したる如きは、稍措置の妥當なるを見るといへども、商人の米穀賣買に公定價格を設けしかば、彼等はその利益を壟斷する能はざるを以て、米を外に輸出して高直に賣拂はんと企て、或は貯藏米を隱匿して賣惜しむものあり。遂に九年七月には、米穀の貯藏皆無ならざるに拘らず、之を購ふこと能はざるに至りたりき。蓋し當年米價の高直は、獨加賀藩のみに止らざりしを以て、更に大局に注目したる施設を要したりしなり。