石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第四節 極盛極治

綱紀の初世に於いては、藩士の中厚祿を受くる者、千石以上百六十餘人、萬石以上十數人を算したりき。是等は皆勳舊の祖先より出でたるものにして、恩に狃るゝこと漸く久しく、爲に駕馭の容易ならざるものなしとせず。是を以て綱紀事に當りて屢その驕傲を戒飭し、不遜を矯正せんと欲するの志あり。初め利家の時より藩治に關する日常の事務は、寄合によりて之に決裁するの制を採る。寄合とは年寄・家老の職にあるものゝ會合協議するをいふ。然るに老臣等の爲す所、間々藩侯の權力を侵すことなきにあらざりしを以て、利常薨じて保科正之が綱紀政務を攝したる時より、條目を定めて寄合に對する委任權限を明瞭にしたりき。當時寄合に參加する所の老臣八人ありて、本多政長長連頼・横山忠次・小幡長次は大事を決し、前田孝貞奧村庸禮津田孟昭は交番して尋常の國政を視、今枝近義は多く江戸の事を執り、各政務を分掌すると同時に又互に合議知照を要すと定めたりき。是を以て相互に他の顏色を窺ひ、纔かに當面の事務を處理するに止り、衆心一致して遠大の畫策を樹立すること、到底之を望み得べからざるの實情に在りき。綱紀こゝに鑑みる所あり、乃ち職制改定して人材の登庸を圖り、書を近義に與へて政務を親裁せんとするの意あること告げ、近義が諸老臣の決して異議を挾むことなかるべきを應ふるに及び、遂に計畫を實現し、寛文九年三月二十五日若年寄の職を置き、横山正房・奧村時成の二人を拔擢して之に補し、以て政令下達の任に當らしむることゝせり。綱紀是より後自ら意を國事に勞し、甲夜に治務を工夫し、乙夜には讀書修養し、五十餘年の間全く寧日を有せざりき。

 近年仕置之體、指而あしき事は無之候へども、侍中以下の樣子無心元候。其上寄合中一統の僉議にて、遠慮之故に候哉、指當たる相談までにて行末之考無之儀多體に候。唯今之分にては治定行々つかへも可之事と存儀に候。我等事若輩一入不調法に候故、萬端其方共へまかせ置候。其故本立所行末之考難計、假令かろき儀にても、各相窺候之節も一圓可申付心あて無之事に候。此分にては後々氣遣なる事に候。此段連々存事候へども、卒爾に難申付只今迄令延引候。然ども其分には是非難措置事に候之間、向後先如別紙品を立可申付と存事に候。以來之儀者諸事我等聞屆申付事に候條、其方別而頼度候。勿論其方事我等幼少之時分より、樣々被情骨折之段可申樣なく候。心安其方之事に候へば、寄合之外各別に用事相頼度候。此儀於同心滿足候。右之趣委事者口上に申遣候。已上。
                           加   賀
    三月十二日(寛文九年)                      綱   利(綱紀前名) 在判
      今枝民部(近義)殿
〔松雲公遺簡雜纂〕