石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第四節 極盛極治

この行、綱紀は初めて領國の風物を見、民情を察し、施政上幾多の畫策を胸中に描く所ありしなるべく、而してその實行に移されたるものゝ一に愛本橋架設の事あり。綱紀越中を往返せしとき最もその注意を惹きたりしは、その地に大河多く、行旅の艱苦甚だしきことなりしは言ふまでもなし。されば綱紀は最難所たる黒部川に橋を架して、徒渉の煩を除かんと欲せしに、老臣等之を喜ばずして曰く、黒部の水は所謂四十八ヶ瀬を成すものにして、激流奔湍渡の便を有せず、我が無双の要害として憑むべきものなり。然るに今一朝にしてこの瞼を除くは、恐らくは防備を完からしむる所以にあらざるべし。况やその工事至難にして、費す所の財亦尠からざるに於いてをや。舊態のまゝたらしめて可なりと。綱紀之を排して曰く、卿等はその一を知りてその二を知らざるものなり。夫れ國の強弱と安危とは、一に施政の宜しきを得ると否とに因る。苟も諸侯にして士民を駕御するの途を失はゞ、山河の險も何の憑む所ならんや。余既にこの國に政を施して行旅の困難を顧みざるが如きことあらば、上は朝廷幕府との負荷に報い、下は黔首を愛撫する所以にあらざるなりと。老臣等理に服して議終に定り、新たに黒部川の上流を選びて飛橋を架す。その長さ三十三間にして一の橋脚を有せず、名づけて愛本橋と號す。笹井正房その工を監し、寛文二年に成れり。

 綱紀は、智仁勇の三才をかねたりといふべきほどの人にてありければ、國の政治もすぐれたりし事ども多く、黒部川四十八ヶ瀬といふは北國にかくれなき難所にて、わたり瀬急流なるゆゑ、やゝもすればおぼれ死するものありしに、綱紀此山そひにあらたに道をひらき、橋をわたして諸人のゆきゝをやすくしたり。此事を議せしはじめ家の老どもいへるには、國を守る要害の地をうしなひなんといひしを、綱紀、國の安危は政事の得失にこそあれ、山海の險難によるべきにあらずとて、ながく覆溺の憂を除れたりとぞ。
〔續藩翰譜〕