石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第三節 白山爭議


  北國白山別當平泉寺越前國大野郡牛首・風嵐兩村山境論裁許之事
 平泉寺訴趣、白山境内自往古北者宮谷南者加持谷峰通之處、牛首・風嵐兩村入込畑を開小屋を建、剩社頭散錢を掠取、材木伐候場所をも兩村地内と申相妨由申之。牛首・風嵐兩村返答之旨、白山境は鳥居より頂上迄三里八町の内にて、北は鳥居より見通し、南は三の峰を限りとする段申之。右論所御代官内山七兵衞差遣令見分處、平泉寺申立候境内所々堂社室跡等有之、平泉寺支配仕來處雖之、相手方之田畑民居數多有之數十年切開せ候上は、至今は持分の境内とも難之、但檜宿山林は全く社地と相見え、湯谷・柳谷川筋より丙は、兩村妄りに不入込儀分明也。兩村方に茂、開畑家作等は致といへども村附山たる證跡は一切無之。依之今般評議之上裁斷之趣、北は谷川上より湯谷・柳谷、東は井谷迄谷川通中央を境といたし、東北之方は白山權現領内山たるべし。其内に適有百姓夏小屋切畑は潰之、向後内山には兩村決而不侵入、勿論散錢等掠取儀堅禁止之。次に内山境外之地面は、兩村開畑有之といへども、去享保未年出入之節、牛首・風嵐兩村は前々爲白山社領之由申之、兩村之者口書出之。今時雖社領、村附之山林たる證跡於之者、山林之地元は可社領。其上山内御林平泉寺役僧立合令印形、所々堂社室跡多相見に付、北之方宮谷峰通、夫より西之方加持谷峰通迄、地元は權現領に相極、牛首・風嵐兩村茂入會べし。但一箇年に永貳貫文宛山年貢平泉寺え可差出候。御林八箇所は双方不之。百姓家を建置、稼之儀並開畑は有來通たるべし。仍爲後鑑、繪圖面山境引黒筋、各加印判裏書、双方え下授間永不違失者也。
    享保十七年壬子三月十三日
                       御用方無加印  細  丹 波
                       御用方無加印  杉  佐 渡
                       御用方無加印  松  筑 後
                              筧 播 磨 印
                               駒  肥 後 印
                               稻  下 野 印
                               大  越 前 印
                               井  河 内 印
                               黒  豐 前 印


白山論地裁許繪圖裏書 能美郡山岸十郎右衞門氏藏