石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第三節 白山爭議

次に岡田豐前守加賀藩に内通せる書簡には、加賀藩尾添・荒谷二村を上地するに對して、幕府は福井領なる牛首・風嵐二村をも收公するの意あることを言へり。然るに福井領は固より牛首以下十六ヶ村なるを以て、こゝに二村にのみ限りたるは大に加賀藩の怪しむ所となり、次いで藩臣横山外記が豐前守を訪問したる際直に之を話題に上せたりしに、豐前守は越前郷村帳に牛首何ヶ村・風嵐何ヶ村と包括的に記載しあるを記憶すと答へたりき。然れどもこは全く豐前守の誤解にして、越前郷村帳には恐らく東谷と西谷とを分かちて牛首何ヶ村・丸山何ヶ村と記載せられたりしを、この爭議に關して牛首・風嵐の名の最も著しかりしが故に、遂に誤りて牛首何ヶ村・風嵐何ヶ村なりと思惟するに至りしなるべく、幕吏がこの重大事件を解決するに當りて深くその地理をすら研究することなかりし辻濶を見るべし。後果して豐前守はその誤謬なることを發見せしを以て、牛首十一ヶ村・丸山五ヶ村を歿收するなりと訂正し、且つ加賀藩より提出せる地圖に福井預領十七ヶ村を載すといへども、そは十六ヶ村ならざるべからずと難詰するが如き語氣を洩らせり。思ふに加賀藩の圖は島村を東島・西島に分かちたるを以て村數の増加を來しゝものなるべく、事實上十七ヶ村といふも十六ヶ村といふも同一なりしなるべし。