石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第三節 白山爭議

加賀藩方面より觀察したる明暦白山爭議の顚末は此の如し。而してその主張の是非曲直を公正に判斷するが爲には、福井藩史料をも探査するの必要あること勿論なりといへども、未だ之を得る能はざるは頗る遺憾とすべし。但し越史略・越前國名蹟考の如き成本に於いては、一言も之に觸るゝものあるを見ず。唯僅かに越史略一本の頭註に、『往年加州尾添民。利白山資材。竊勸加賀其祠牛首民屢諫爲不可。遂與訴訟。公命(光通)本多昌長・狛孝澄・有賀正成等。遣波々伯部九兵衞成長。致書於加賀大夫。具諫其不可加賀大夫報書相列白。於是盡收平泉寺上記之。我臣與加賀。屢與相辯。事不決。今年(寛文六年カ)公朝東都加賀侯又遣其臣服部左源太。來辯我邸。是時會津侯保科正之爲之和解。而事速難決。曠日彌久。既而大朝下令。收白山于官。其修治亦官爲之。遷宮依古使平泉寺勾當行之。事遂平。』の文あるを見るのみ。
吾人はこゝに白山爭議に關する地理に就きて一二の蛇足を加ふるの必要あるを見る。