石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第三節 白山爭議

是に於いて綱紀の外舅保科正之は、農民が此の問題に沒頭して、隣との利平を害するを憂へ、幕府の勘定奉行岡田豐前守善政と共にその間に奔走周旋し、遂に寛文六年十二月藩臣横山外記氏從を豐前守の許に遣はして、加賀藩領尾添・荒谷二村百七十一石九斗八升の地を幕府の直轄たらしむるが爲に上地せんことを出願せしめしかば、八年八月に至りて幕府はその請を容れ、福井領の十六ヶ村をも共に收めて公領とすることゝせり。これより後此の地方は、白山麓十八ヶ村と稱して郡名を冠せざることゝなる。この時幕府は、加賀藩に與ふるに近江國高島郡海津の一部中村町百七十一石九斗八升の地を以てしてその面目を維持せしめ、福井侯には別に與ふる所あらざりき。これ固より尾添・荒谷加賀藩の領邑にして、牛首等十六ヶ村は福井藩の預領たるの相違によるといへども、亦綱紀の勢力と保科正之の後援ありしとに依らずんばあらざるなり。