石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第三節 白山爭議

白山本宮長吏澄意が、本宮造營の爲に都鄙の奉加を得て、再興の功を勵みたらんには神妙たるべしとの綸旨を得たるは、固より天文・慶長の舊例を趁ひたるものにして、今更に勅許せられたる新儀にあらずといへども、慶長以後に在りては時に越前側の造營したる事例なきにあらざりしを以て、新たなる綸旨を仰ぎて効力の復活を圖りたるなり。されば尾添側は今や越前側の反抗し得べき理由あらずとなし、再び社殿造營の爲に木材を山頂に運搬したるに、加藤藤兵衞は復牛首・風嵐の村民を指揮し、悉く之を棄却せしを以て、その顚末を幕府の寺社奉行に出訴するに至れり。この訴訟の經過に關しては、今その詳を知ること能はずといへども、白山麓十八ヶ村由緒扣といふ册子に、『訴答は牛首・風嵐と尾添にて候得共、後立てには越・加兩國の太守樣方聢与御腰掛之論に而、御奉行所にて御決し難成、』と記したるは、恐らくはその眞相を得たるものなるべく、遂に何等要領を得ること能はざりしなり。