石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第三節 白山爭議


 今度白山出入之儀、酒井岐(忠勝)殿三人之御年寄衆へ、内證之爲御使私被遣候御口上之覺。
 一、加賀白山之社頭破損仕候付而、致修理度由所之者及斷候故、其分に申付、去年少し材木など切置、常夏雪消、大工壹人尾添村百姓四五人召連、伐置候材木見可申ため白山へ登り申候庭、越前領之者共大勢集り有之、尾添より登り申者を見付、事之外さわぎ打殺可申躰ゆへ、此方は小勢儀、旁内陣迄不參、加賀室より罷歸候事。
 一、其後小松迄、越前殿家老共より以使者口上覺書之通申越候事。
 一、加賀白山と申儀者古來紛も無御座、書籍等にものり申由候。先年柴田三左衞門(勝政)越前打入之刻、佐久間玄蕃(盛政)とにごりすみ川(濁澄川)を限り境目と申談候と哉覽、石川郡能美郡)之内白山の麓十六ヶ村越前傾に相成候。併尾添・荒谷・中宮三ヶ村、今加賀領に御座候。先規より尾添村百姓白山之別當仕候由來分明之旨申候。金澤より四里上に下白山と申神社御座候。其より八九里上白山之麓に尾添之在所有之、尾添より三里上檜宿宮と申社御座候。又三里上にあま池、又三里上に内陣、其上より十町程西へより御前之社御座候。檜宿宮・あま池迄は越前領のものかまひ不申候。内陣・御前兩社迄越前領内に候。加賀より造營致間敷と申事。
 一、五十餘年以前青木紀伊守(秀以)へ申候て、越前領より御前・内陣兩社建立仕候付而、尾添之者共申分仕、つちをうたせ不申事、於今山内に隱無御座候由申候へ共、久敷儀故其節之樣子慥に不存候。廿年許以前松平但馬守(勝山城主直良)殿より右兩社御建立の刻、尾添の者共本多安房守・横山山城守迄及斷候へ共、立願御座候へば筑紫の果奧州の果よりも建立仕習に候。殊隣國の儀、何角與(ナニカト)申ぶん仕不入儀に候。重而又破損仕候者、此方よりも修理いたすべく候間、且而かまひ申間敷旨申付置由候。先規より越前領之もの杣取遷宮をも仕來る由、只今色々与それをこう(功)に申物にて御座候はんと存候事。
 一、縱あなたより申分御座候共斷之品可之處に、十六ヶ村之者を相催弓鐵炮を持、石倉をつき(築)はり番を置、加州よりの建立妨可申由、理不盡之裁許に御座候。其上越前殿家老三人より使者口上覺書之通も、少おつかけたるやうに聞え申候。定而越前には、加賀より卒爾之建立企候へ共、白山へ登申もの追下し、建立をもやめさせ候などと可申成候。此段は急度御訴訟申上候はで不叶儀候へ共、當家御代々別而得御厚恩申候。今程公方樣御幼少に候へば、何樣之儀をも致堪忍、公儀御苦惱がましき儀申上間敷と常々覺悟仕候。其故此度は無心を止め、表向御訴訟申上候。併國之用に不立山と申ながら、境目之儀其儘打捨置申段も難成候。以來公方樣御成仁被遊候はゞ、急度御訴訟申上候。内々其御心得被成可下候事。
 一、此上にも彼兩社、此方より之建立をとめ置、越前領より修理申付候へば、あなたの理運之樣に罷成、以來御訴訟も難成候間、若左樣の仕合に候はゞ、只今とても父御訴訟申上儀可御座候事。
 一、越前のもの共、如何樣之儀を仕懸候共、且而取合申まじく之旨堅申遣候へ共、百姓と申内にも山中之ものは猪・猿同前のやつばらにて、此方之下知をも事により用不申候間、若越前の者とたゝきあひ申樣成儀も可之候哉難計候。内々共御心得被成可下候事。
 一、右御口上之趣松平伊豆(信綱)殿御聞屆、越前よりの口上覺書大工太郎兵衞書付をも、能々御覽被成候。太郎兵衞書付爲御心得寫進之候。
 一、伊豆殿之仰候は、越前之衆は越前白山とおぼえ、加賀之衆は加賀白山とおぼえ申候故、互の違逆有之候。越前白山と存上は、國之守護修理仕來る社頭に候。加州より御建立に極り候はゞ御馳走可申入との口上、指而おつかけたる申分にても無之候。當夏は越前殿御祝言に付、家老の者ども何も江戸に相詰候條、越前殿之儀者勿論、家老之者共も且而存まじく候。若家老之もの在國候共、國端之儀者不存事のみたるべく候間、所之もの之所行と存候。惣而境目等の相論などは其百姓の申分に被成、御取あげなきがよく御座候。大猷院樣御掟にも、かりそめの儀にても下にて出入のさたに不及、公儀御奉行所へ申斷御下知を可請旨有之上は、必御自分のゆきゝに被成間敷候。御斷之儀御座候はゞ何茂肝煎埒明可申候。越前より如何樣之儀仕懸喉共、尾添之もの一圓取合不申樣に、彌御國元へ可仰遣由、此段くれ〲被仰渡候。
 一、豐後殿・雅樂殿(阿部忠秋・酒井忠清)御返事も大形同前に候。寺社奉行衆へも追付御諚可仰入旨候。
 一、右伊豆殿之仰渡之趣、尾添村百姓ども急度被申渡、あなたよりいかやうの儀仕懸候共取合不申樣に、能々可申付旨御意候。
 一、先年鶴來之隱居被之候、泰澄大師自筆とやらん白山縁起之候。其外尾添村百姓、先規より白山の御もり別當に付申出、由來證據に可成儀共能々相尋被間屆申上旨御座候。
 一、十六ヶ村之者共于今はり番をすへ用心仕躰に候哉、人を遣彼在々の樣子能々御聞屆可御申上候。卒爾に不功成もの被遣候ば、あなたにけどり結句惡事に可罷成候。不申大事に候條、能々可御念候。越前領より自然修理など御申付候はんとの支度候はゞ、早々可御注進候。右一〓越前にての取沙汰をも御聞屆尤候。
 一、尾添百姓之書付之内に、五十三年以前北村宗甫白山建立之刻、青木紀伊守へ中斷、越前領のものども立申由書のせ申候。宗甫・紀伊守如何樣之仁にて候哉、御聞居候て悉御書付可指越候。
 一、右之一〓伊藤内膳・菊池大學兩人に相談、畢竟は公儀沙汰にも可罷成候條、證據に可成儀可言上旨御意候。十六ヶ村之ものどもおこり、弓鐵炮などとりあつかひ候儀、何より以公儀への非義候之故、是一つにてもこなたの申立に成事候。左樣之段委細御聞屆、具可仰越候。
 一、白山之繪圖、加賀越前・美濃にかゝり申躰、山内十六ヶ村・にごりすみ川・尾添村・中谷・荒谷・さら(佐良)・吉野・鶴來白山等具に御記、道のり迄書付可御上候。
 一、右一卷之儀、共地にて色々取沙汰有之由風聞仕候。此紙面之通、一圓沙汰無之樣に能々可御念候。尾添其外在のもの共被召寄樣子御尋候共、是又沙汰なきやうに堅可仰付事肝要候。以上。
    八月十二日(明暦元年)申刻                      今枝民部(近義) 在判
      前田對馬殿
      津田玄蕃殿
      奧村因幡殿
〔加州白山爭論一件〕
       ○