石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第三節 白山爭議

利常時に齡既に高くして世故に長けたりしを以て、親たる福井侯と相爭ふの不利なるを思ひ、努めてその衝突を避けんと欲したるなり。然るに福井藩に在りては、牛首・風嵐村民の報告により、年壯氣鋭の松平光通は大に激昂したりし如く、その江戸より歸國するや、七月三日老臣本多昌長等に命じ、波々伯部成長を使者たらしめて小松に遣はし、覺書を手交せしめて、加賀藩祠殿所在の領主に謀らずして擅に興造に從事せんとしたる理由を詰り、且つ光通の未だ事に熟せずして自らその可否を斷ずる能はざるが故に、先づ事情を幕府の寺社奉行に稟し、その指揮を仰ぎたる後修營に着手すると否とを決すべしと抗議せり。當時利常江戸に在り、而して小松はその菟裘の地にして福井と相距ること近きが故に、光通はこゝに使者を送りたるなり。因りて加賀藩は、同月二十日固より福井藩の提議に異論なきことを回答し、次いで利常老臣今枝近義幕府の老中酒井忠勝等に遣はし、詳かに祠殿造營に關する沿革を述べ、又大工太郎兵衞の調書によりて福井領民の亡状を證し、且つ方今將軍幼冲なるを以て、敢へて彼と爭ひて幕府政務を多端ならしむるを欲せずといへども、他日その成長するに至らば必ず正當の裁斷を仰ぐ所あるべしといへり。