石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第二節 前田利常の監國

利常に七男九女あり。その第四女を富姫となす。母は天徳院元和七年七月二日金澤に生まれ、寛永十九年九月八條宮智忠親王の妃となり、寛文二年八月廿二日歿す。享年四十二。眞照院と諡し、野田山に歸葬す。前田氏の出にして皇族に列したるもの、この外に明治の後有栖川威仁親王妃となりし慶寧の女慰姫あるのみ。

 眞照院死去、無是非仕合同意候。氣分重時分も預飛札候へ共、無程死去之左右有之候付、不返報候。然者死骸去月廿四日京都發足之旨、爰元へも相聞申候。早々御案内快然之至候。恐々謹言。
                           松 淡路守
    九月二日(寛文二年)                       利   次 在判
      松平飛騨守利明)殿
〔越中上坂氏文書〕