石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第二節 前田利常の監國

利常利家の第四子にして、母は小幡氏、壽福院と號す。小幡氏は初め利家夫人の侍女たりしが、次いで側室となり、於千世又は東丸殿と呼ばれき。文祿元年秀吉征明の軍を起し、肥前名護屋に行營を定めしとき、利家往きて之に參畫し、小幡氏亦從ひて箕帚を執りしが、二年十一月廿五日金澤に於いて一男兒を擧げしもの即ち侯にして、幼名を猿千代といへり。襁褓にして老臣前田長種に養はれ守山城に在りしが、慶長三年利家の上州草津に赴く途次今石動に宿せし時、始めてこれに謁せり。五年九月利長丹羽長重と和せしとき往きて質となり、翌月長重は封を失ひたるも、猿千代尚こゝに留りて、長種は小松城代となれり。十一月猿千代利長の世嗣として徳川秀忠の佳壻たるべきを約し、六年九月犬千代と改め、諱を利光といひ、同月婚儀を擧ぐ。十年四月後陽成天皇秀忠を征夷大將軍に任ず。利光、利長に從ひ京師に往きて之を賀す。五月十一日前將軍爲に首服を加へ、奏請して從四位下に叙し、侍從に任じ、筑前守を兼ねしめ、又松平氏を冐さしむ。是の年六月二十八日利長致仕せしを以て統を襲ぎ、十九年九月二十三日左近衞權少將に任じ、元和元年閏六月十九日參議に進み、寛永三年八月字を九日從三位權中納言に上る。六年四月廿三日肥前守と稱し、諱を利常と改め、十六年六月二十日致仕して小松城に居り、萬治元年十月十二日六十六歳を以て薨ず。法諡して微妙院一峰充乾といふ。後明治四十二年九月十一日從二位追贈せらる。