石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第二節 前田利常の監國

是等の佳話美談多く微妙公夜話に載せられ、人をしてその叡智の材たるを思はしむ。或は曰く、利常幕府の忌疑する所となるを恐れ、深く自ら隱忍せり。是を以て故らに鼻毛を延ばして、他の嗤笑に甘んじたりき。老臣憂へて百方諷すれども、利常は解せざるものゝ如くなりしかば、一日澡浴の際左右をして鑷を進めしめき。利常乃ち浴を終へ、自らその面を指して曰く、汝等余の鼻毛を長ずるを以て、百方諷諭して之を去らしめんとするもの、余素より知らざるにあらず。然れども凡そ才智を鼻頭に顯すものは、必ず世の忌疑する所となる。故に余は面目を愚にして中傷を避け、以て三州の民を安んじ、汝等之共に太平を樂しまんと欲す、亦善からずやと。この談最も多く世人の喧傳する所。利常にして果して此の如くなりしならんには、勉めて韜晦せんことを欲したるものゝ如しといへども、その豪宕不覊の氣象は、時に欝勃として發することあるを免れざりき。利常嘗て疾みて柳營に登らざりしが、幾くもなくして癒えたりき。閣老酒井忠勝朝堂に利常を見て一揖し、笑つて曰く、頃者侯自恣の病復發するかと。利常之を却けて曰く、卿の信ずる所果してその言の如くなるか。余老いて疝を病み、大に發作する時は則ち歩すること能はず。請ふ之を見て僞ならざるを知れと、直に胯間を開きて忠勝に示しゝに、滿座の人哄笑して中納言復戲譃を弄すといへり。利常曰く、否らず、之を示さずんば以て寃を雪ぐ能はざればなりと。