石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第二節 前田利常の監國

當時藩の財政は、祖宗の蓄積せし餘を受けて尚頗る豐富なるものありしといへども、士人に至りては漸く太平の世運に慣れ、生活の程度連りに向上したるに拘らず、收入の之に伴はざるが故に、負債に負債を重ねて、能く社會の中樞たるべき體面を維持し得ざるもの、往々にしてこれあるに至りたりき。抑初に於ける貢租の收納は、所謂檢見の法に因りしものにして、年の豐歉に從ひ租額を上下せしが故に、啻にその手續の複雜なりしのみならず、吏務の公平を維持すること甚だ難く、農民は專らその低下を欲し、藩吏は偏に加重を企つるが故に、その間互に憎惡嫉視の弊を生ずるか、否らざれば賄賂贈收の害を招くことなきにあらず。且つ加賀藩の領内は、往時一向門徒の政權を掌握したる歴史を有するが故に、農民といへども必ずしも武上に畏服せず。動もすれば貢租の納入を怠りて未進に終らしめ、その收穫を私せんと欲するものありき。又の制によれば、給人にして扶持米切米を食むものは、固よりの倉廩に藏する現米を以て支給せらるといへども、その他は祿高の多少に拘らず悉く釆地を指定せられ、その地に屬する農民は直接に租米を士人に納入せざるべからざりしが故に、農民が之を皆濟すると一部を未進に附するとは、士人の利害に關する所最も大なりしなり。然るに當時の實情は、農民の納入する所必ず全きを得ざりしを以て、士人はその生活に困難を感じ、年末に至る毎に使を釆地に遣はして督促し、農民にして之に應ぜざる時は桎梏を加へて自由を奪ひ、或は梯子に縳して水を喫せしむるが如き方法を用ひて、呵責至らざる所なく、遂には家財農具を賣りて之を償はしめ、尚足らざる時は未進米として貸越とするが故に、農民の窮厄も亦測るべからざるものありき。利常之を憂へ、積弊を釐革せんと欲すること久しかりしが、慶安三年五月江戸より歸りて小松城に入りしとき、綱紀及び自己の臣屬中、最も家政の紊亂せるものを調査し、或は俸祿の一部を割きて負債償却の途を講ぜしめ、或は僕隸の員數を減じて資財を賣らしめ、或は吏を付して勤儉節約の實行を監視せしむる等の事を爲し、之と同時に農民が租米納入の義務を盡くさゞるは、實に士人を窮乏せしむる最大原因たるを以て、所謂改作法を實施して大に農制を改革する所あらんとせり。