石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第二節 前田利常の監國

利常小松に老せし後、一日近郊に放鷹して途次那谷寺に憩へり。那谷寺白山所屬の所謂三箇寺の一なるを以て、固より天台宗なりしといへども、この時既に眞言に轉じたるのみならず、伽藍頗る荒敗せしものゝ如くなるが、その境内は老樹欝蒼として薜蘿之に纏ひ、岩石骨立して高さ敷丈に及び、中に洞窟ありて觀世音の像を安置せり。利常、寺僧花王院を召して來歴を問ひ、遂に爲に伽藍を再興し、又石切勘七に命じて、岩壁に階段を刻み、洞窟の前懸崖の上に堂舍を構ふること、稍京師の清水寺に彷佛たるものあらしめき。その遺容今尚見るを得べし。但し元祿二年芭蕉がこの寺に詣でたる時、『萱ぶきの小堂岩の上に造りかけて殊勝の堂なり。』と記するによりて見れば、屋宇は今日の如き柿葺にあらざりしなり。那谷寺築造は、三壺記等に正保元年利常の同寺に詣でたる後に在りとすれども、現に存する塔婆の露盤に刻したる銘に、寛永十九壬午歳とあれば、利常小松退老以後直に創めたるものなるべく、文中に新君萬年といへるは、去年家綱の生誕せるを祝したりしなり。されば那谷寺は寺傳に寛永十七年再興すといへるを正しとすべし。

 奉那谷寺寳塔一宇者。爲恒河沙菩薩之瑤座一切繋縁之群萠也。倚頼斯誠心幕府千秋。新君萬年。及自臣至子孫雲仍。武徳長遠。家運繁榮。各保康寧壽域。永蒙安富尊顯之冥助矣。
    寛永十九壬午歳九月吉日
      大檀越從三位黄門兼肥前守加越能大牧源朝臣利常卿敬白
                    冶工常國釜屋宮崎彦九郎藤原朝臣吉綱
〔那谷寺塔婆露盤銘〕

那谷寺大悲閣 在江沼郡那谷村