石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第一節 三藩鼎立

光高の薨ぜし年、歳旦の試筆に歌を作りて曰く、『われことし三十文字あまり一文字を歌によまるゝ年の數かな』と。聞く者傳誦してその妙なるを稱せしに、獨り光高の保傳たりし今枝直恒は凶讖なりとなし、窃かに之を憂へたりしに、果してこの事ありき。直恒は光高を陶冶して、忠誠恪勤その比を見ざりしかば、將軍家光も之を評して、加賀少將は天稟の美固より衆と異なりといへども、直恒輔導の力亦大なりといへり。されば直恒は侯の死を痛むこと最も甚だしく、柩を奉じて金澤に歸りたる後之に殉ぜんことを冀へり。時に老侯利常江戸に在りしが、直恒を戒めて曰く、余今齡已に老い、而して嫡孫犬千代尚幼弱なり。是を以て余は卿に託するに、今より後犬千代傅育の重任を以てせんとす。卿若し彼を視ること尚光高に於ける如くならば、余は死すとも瞑すべきなりと。直恒辭すること再三に及びしも、遂に許されざりしを以て命に從へり。