石川県立図書館/大型絵図・石川県史

石川県史 第二編

第三章 加賀藩治恢弘期

第一節 三藩鼎立

士人がその釆地の農民より貢租を收むる能はざるは、彼等の最も病苦とする所なること勿論なりといへども、米價の極端に廉直なるも同じくその生活を脅威する一原因たりき。是を以てその豐穰なるに及びて重ねて困難を感じたりしかば、士人の甚だしく窮乏するものに資銀を貸與することゝせり。然るに光高がその財源を阪の商人に仰げるを以て、老侯利常は爲に内財界の疲憊困弊せんことを憂へ、城中の蓄財を出して之を貸與し、百日を限りて辨債するの制を設けしめき。囚りて之を百日と稱す。士人若し之を借りて償ふこと能はざれば、その衣食を節せしめ、若しくは俸祿を割きて上納せしむ。これ一は士人をして、勤儉自ら産を治むるの念を養はしむると共に、一は利子の外流出を防ぎ、併せて府庫を豐かならしむるが爲なりしといふ。この事松梅語園の記する所なるが、果して此の如くならば、爾後頻々として行はれたる賃銀の制は、夙く其の端を光高の時に發したりといふべきなり。

 中納言利常)樣御意に、筑前上方(光高)より子借ながら、かすとて家中へ貸す。若きにより合點不行。一旦はいかにも能樣にあらんなれども、後に大に家中つまるべし。成程くるしき金を借て、人々心に無油斷愼むにより、手前仕直す道理ありと御意にて、御小將頭の裁許に御城とて四百貫目餘、御馬廻頭え五百貫餘御出し、又諸頭中え組之人數に應じて百日とて出る。是は何に而も急成御用に懸る時、無利に先づ借請遣す。百日目に急度返上仕る。、ヶ樣に御城出ても、強催促付而も、借手多く而不成に付而、千秋太郎左衞門・原八郎右衞門被仰付千貫目出づ。御取立際彌以催促など附と雖も、出事又不成者多により、自分人數御圖り有て、分限により食を喰圖りも有、又鹽す(醋)を喰圖りも有、やさい・肴を不喰圖りもあり。知行米を追出し、御城の利上本入仕樣に被仰付。此圖りにはづれ不合者は、知行殘御取立有之。人數に應、五人扶持・十人扶持とて御扶持を被下、御城すんで本知被返下也。右之通に而すり切不絶により御苦勞被遊也。是は上方え利年々ぬける也。御城がね出れば利御藏に有之、他所に不拔と御工夫。
〔松梅語園〕